テーマ のし等について(49号)

2006(平成18)年7月1日 


 

住職記

のし等は、使わないのですか?

▼先日、ある方から「のし等は、使わないのですか?」という質問を頂きました。これは、案外知らない人が(私もそうでした)多いのではないでしょうか。そのことについては、簡潔な文章がありますので、ここに掲載させて頂きます。

 のし袋(熨斗袋)とは「のし・水引をつけ、または印刷してある紙袋。金銭を贈るとき、入れるのに用いる」(『広辞苑』)ものです。
 仏事では、使いません。
 のしは、色紙を重ねて六角形に折りたたんだなかに、のしあわび(鮑)を薄く切って張り、贈り物に添えるものです。
 のしあわびは、もと、民間信仰の儀式に用いられ、後に永く続くことを祈る意味にたとえて、お祝いの進物に添えるようになったものです。
 今、市販されているのし袋ののしは、紙製であったり、印刷されたものであったりしますが、真宗門徒が、それらを使うことは、好ましくありません。
 真宗門徒は、喜びも悲しみも、仏法聴聞の縁とするのです。都合の良いことだけ永く続くようにと祈ることは、仏法にはないことです。
         
『真宗門徒になるための本』真宗大谷派大垣教区出版委員会より

▼下記のように、水引についても、都合の良いことだけを…といういわれがあるようですので、のし袋も、のし紙も仏事には必要ありません。以上のことから「御仏前」等は無地のものが相応しいようです。

 


▼最後に、次のような教えの言葉を頂きたいと思います。
 
死の自覚が生への愛だ (田中美知太郎)
 
▼死に代表される都合の良いものは招き寄せ、都合の悪いものは排除する、私たちの生き方はそのまま、生への愛を失っている在り方だと教えられます。

 

あとがき

▼今回、質問された方のお陰で、のし等について、色々と学習する機会を頂きました。
▼とはいえ、やっぱり、のし袋、のし紙を使わないというのは、お互い難しいことですよね…。
▼ただ、このことからまず、私たちのご都合主義の中に潜む様々な問題について考えることから始めたいと思います。また、談合しましょう。

 


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