テーマ 随感(36座)

2000(平成12)年8月1日


 

表紙

心花    川内久美(十七才)

自分に与えられたすべてのものを
好きになれますか?
きっと 推だって
あれが悪い これのせいだ だから出来なかった
なんて 文句 言ったことあるでしょう
自分に与えられたものを
すべて好きになると
心に花が咲くそうです
あなたの心にはいくつの花が咲いていますか?
枯れていますか?

 

住職記

●随感1  チョコレートパン

▼チョコレートパンを私が食べている時のことです。息子がそばに来て自分にもちょうだいと手を出してきたので、少しちぎってあげました。すると息子はなんと、もらった自分のパンと私のパンを見くらべて、大きい方をよこせと、もう一度、手を伸ばしてくるんです。少し前までは、もらったものを素直に喜ぶかわいい赤ちゃんだったのに。
▼頂いたものをそのまま受け入れられず、すぐに誰かとくらべてしまう人間の悲しいくせは、こんな幼い時からもう始まっているんですね。ふと、以前に出会った詩を思い出しました。(表紙参照)
▼ちなみに、こんなことを考えている間に両方のパンを息子にとられてしまった私です…。



●随感2  蟲供養

▼お寺の近所でKちゃんとSちゃんと息子と四人で遊んでいる時のことです。私が手や足に近寄って来る蚊を再々、叩いていると

「ごえんさん、去年、蟲供養したやんか」
 
と言われてしまい、まったく返す言葉がありませんでした。



●随感3  仏恩

▼先日の研修会でのことです。「寺に居て感じること」というテーマの座談会の最後に、私よりもずっと若い人が

「まぁ、焦らんと、ゆっくりやればいいんじゃないですか」

と、妙に説得力のある言葉に私も含めて皆が静かにうなづいて聞いていました。しかし、日が経つにつれて、その言葉に対して、どうしても違和感を感じてしまうんです。それがなぜなのか正直、私にはわかりません。
▼ただ、今のところ感じていることは、八五才を過ぎてもなお、

「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし」と

力強くうたい、その身を報じていかれた親鸞聖人の姿と「まぁ、焦らんと、ゆっくり…」という言葉にただ、うなづくぱかりで、一向にこの身が動かない私たちの姿とはあまりにも違うように思うのです。

 弥陀の名号となえつつ
  信心まことにうるひとは
  憶念の心つねにして
  仏恩報ずるおもいあり
       
『浄土和讃』親鸞聖人(聖典四七八頁)



●随感4  暴走族

▼長浜でも、この季節になると暴走族の音が真夜中にこだまする。世の中の枠に、はまるものかと抵抗する彼らの多くが、実は冬ではなく夏に、休日の前の土曜日か金曜日にという世間の枠に、すっかりはまっている暴走には正直、がっかりします。



●随感5  親の恩

▼子どもをもって初めて親の恩がわかるという。親になった私も実感させられる昨今です。しかし、知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうこの言葉は、どこまでも自分がうなづくことであって、決して誰かに説くことではないと思います。
▼未婚の人や子どもが授からない夫婦に対して、これほど暴力的な言葉はありません。

 

編集後記

▼ある年配の方とこんな会話をしたことがあります。それは、私がこの通信の発行し始めた時のことです。その方に、

「ごえんさん、通信の中身は問わへんけど、続けんと、ほとんど意味ないで」

と言われた私は、少し反発して

「続く、続かないはその時のことであって、やってみようという気持ちが何よりも大切ではないんですか」

と反論しました。すると、その方は静かにこう話されたんです。

「わしは、そんな、ごえんさんのきまぐれにつきあってられへんわ」

と…。おかげで、通信の発行の時期になると、この会話が私の脳裏から離れません。有難いことに、私のまわりにはきびしい諸仏が何人もいてくださいます。(笑)

 


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