テーマ 私の救いとは(34座)

2000(平成12)年4月1日


 

表紙

世界がぜんたい
幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

『農民芸術概論綱要』宮沢賢治


愛と平和を歌う世代がくれたものは
身を守るのと知らぬそぶりと悪魔の魂
隣の空は灰色なのに
幸せならば顔をそむけてる

『真夜中のダンディー』桑田佳祐

 

住職記

▼お内仏(仏壇)にどんな気持ちでお参りしますか…、という質問に対して、一番多いのは

「ご先祖様に、朝は家族の者が無事でありますようにとお願いし、一日の終わりにはそのことにお礼を言います」

というような答だそうです。要は、

「朝に礼拝、夕に感謝」

という気持ちですよね。あなたならどんなふうに答えますか。

▼実は私も長い間、この気持ちが大切なことだと思っていました。これが宗教心だと思い込んでいました。でも、親鸞聖人が出遇われた浄土真宗は、どうもそれとは違うようです。

▼以前、浄願寺通信23号で紹介した言葉です。

私どもは、自分の幸せ、村の幸せ、家の幸せ、日本人だけの幸せしか考えないで、それを神や仏やご先祖や、ついでに阿弥陀様や親鸞様まで引き出して、そのお守りを感謝し喜んでおった。何とまあ狭い、自分勝手な、相手のことがまったく問題にならないような、そういう恐るべき世界におったんだなあ、と目が覚めてくるのが浄土真宗です。

『終わりなき歩みを共に』和田稠著より

▼私たちは「朝に礼拝、夕に感謝」という宗教心でもって、目が覚めるどころか、ぐっすりと眠っていたようです。具体的に言うと、隣の人や、まわりの人を完全に見失っていました。それどころか、他人の不幸を見ても何ら、悲しむことも、痛むこともなく、むしろ、それと比べて自分の生活を感謝することさえしていたのではないでしょうか。「あの人に比べたら喜ばなあきません」という具合に。

▼こんな話を聞きました。世界各国のアンケート調査で

「あなたは今まで、けんかを止めに入ったことがありますか」

という質問に対して、日本人の子どもたちだけが100%に近い数字で

「ない」

と答えたそうです。また、車の中から煙草の吸殻を平気で捨てる若者は日本人だけで、外国ではそんな行為はまず、考えられないそうです。日本人ほど他人にまったく無関心で、自分さえよければいいという民族は他にはいないというのが世界からの生の声のようです。

▼そんなことを聞くとすぐに

「今の若いもんは、子どもらも全然なってない。」

と私たち大人は自分を抜いて批判をします。

▼そうではなく、静かに考えてみると、このことと私たちの宗教心とは無関係ではないように思いませんか。それは、私たち大人が家内安全だけを願う者であるなら、他人にまったく無関心な子どもや自分さえよければいいという若者が生まれてきても何ら、不思議ではありません。

▼今、私たちが心して聞かねばならない言葉があります。
 
私を知りたかったら、社会を見なさい、私という自我は、社会の反映であり、私を知りたかったら、この私を作り出している社会的現実を見なさい。そこに、私という人間がどういう人間として生きているかがわかる。(ミヒャエル・エンデ)

▼無関心で自分中心の生きざまとは、私の生きざまだったとはっきりと言わねばなりません。この社会を厭うなら、この私を厭わねばなりません。私の家内安全だけを願うこの心を。

▼お内仏(仏壇)にどんな気持ちでお参りしますか…、
どうでしょう、だいたい、

「ご先祖様、どうかお守り下さい」

とだけお参りするのなら、お内佛(仏壇)の真ん中に亡き人の写真なり法名軸を置けばいいんですよね。しかし私たちの真宗門徒の先輩方は、中心に阿弥陀仏を安置してきました。それはきっと私の家族だけ、私だけではなく、

「すべてのものが、救われない限り、私の救いもない」

という阿弥陀仏の本願が、実は私の本当の願いであったということをお参りの度に確かめてこられたんだと思います。

 

あとがき

▲真宗門徒のお墓もまた、真ん中には

「何々家先祖代々」

ではなく

「南無阿弥陀仏」

と刻みます。ここにもやはり、親鸞聖人の教えを聞く者としての姿勢があると思います。「何々家先祖代々」を中心にしてしまうと、どうでしょう、隣の人は決して見えませんよね。そこからまた、知らず知らずの内に、まわりに無関心な心を育ててしまうんでしょうね。

▲ところで、

「すべてのものが、救われない限り、私の救いもない」

という阿弥陀仏の本願が実は私の本願であると教えられても、正直、そんな簡単にはいきません。自分の中のどこを探しても、無関心と自我中心しかありません。でも、ある方からこんな言葉をいただきました。ここに紹介します。
 
人が生きるということは、欲望で埋まってしまった「本願」を堀り起こしていくことです。

 


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