テーマ 柔軟心(にゅうなんしん)(89座)

2009(平成21)年6月1日


 

表紙


 


 

法身は、いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず。ことばもたえたり。この一如よりかたちをあらわして、方便法身ともうす御すがたをしめして、法蔵比丘となのりたまいて、不可思議の大誓願をおこして、あらわれたまう御かたちをば、世親菩薩は、尽十方無碍光如来となづけたてまつりたまえり。

『唯信鈔文意』親鸞聖人

 

住職記

■釋(尼)○○」と名告る仏弟子(行者)とは、どういう人なのでしょうか。『正信偈』の中には、    

行者正受金剛心(真宗聖典207頁)

行者、正(まさ)しく金剛心を受けしめ、とあります。金剛とは堅固ということですが、しかしそれは決して凝り固まることではありません。

■先人の詞にある、

いたりてかたきは、石なり。 至りてやわらかなるは、水なり。水、よく石をうがつ。(真宗聖典889頁)(うがつ=貫くこと) 

の如く、それは逆に柔らかさであり、実は、金剛心とは柔軟心(にゅうなんしん)であると云われます。ですから、親鸞聖人は、私たちに柔軟心で持って生きることの大切さを教えてくださるのです。

■また、「やわらかなるは、水なり」とありますが、やはりその心は水に例えられます。水というのは、形も味も色もありません。形はコップであれ、花瓶であれ、その器の形に応じます。味も、お茶、コーヒー、お酒など、水がそのものの味を引き出すから美味しいのであり、水自体の味は主張しません。もし、主張すればその途端に美味しさは失われます。そして、色もまたそうであり、表紙の写真の海の如くに、青色、灰色、赤色と映し出します。

■それと重ねて仏弟子(行者)の中で智慧第一であった舎利弗についての文章を紹介します。

ある町で、二人の画家がたがいに技を競いあっていました。あるとき、国王が二人の優劣を決めようと、それぞれ得意の絵を描くように命じられました。一人の画家は直ちに製作にとりかかり、六カ月後みごとな絵を描きあげました。ところがもう一人の画家は少しも絵を描かず、ひたすら壁をみがいてばかりいました。やがて見に来られた王は、はじめの画家の絵のみごとさにふかく感服されました。ついで、反対側に描かれてあるもう一人の画家の絵をご覧になりました。それは最初の画家の絵よりももっとふかみのある、すばらしい絵でした。王が感嘆しておられると、その画家が静かにすすみでて申しました。「これは私が描いたものではありません。わたしはただ壁をみがきあげただけなのです。その壁にあの画家の描かれた絵がうつっているのです。ですから、これが美しいとしたら、それは向い側の絵がすばらしいからです」 その言葉に王はいよいよ感服されたということです。その話をされた釈尊は、絵を描いたのが目連、ひたすら壁をみがいていたのが舎利弗であった、とつけ加えられています。同じような話がいくつか伝えられていますが、とくにこの二人の画家の話は、智慧第一の舎利弗の本質をみごとに伝えていると思います。つまり舎利弗の智慧は、あらゆるものの美しさをひきだし、うつしだすまでに、その壁(心)をみがきつくされたものであったのです。わが才能を表にあらわし、誇るものではなく、逆に一人ひとりの才能をほめたたえ、その尊さを一人ひとりに気づかせる力であったのです。 
『仏弟子群像』宮城 豈頁(みやぎしずか)著より

■「釋(尼)○○」と名告る仏弟子(行者)とは、決して自らの形を凝り固め、主張するのではなく、むしろ、どこまでも他に応じ、その者ならではの色も味をも引き出してくるような…、そんな柔らかさを持った人なのでしょう。

 

編集後記

▼二人の画家の話はずっと前から聞いていましたが、何か負け惜しみのような、こんな極端な話に正直うなずけませんでした。でも考えてみると、競争社会の中で「個性を伸ばす」などの言葉に煽られ、いつしか自分の能力を磨くことに絶対の価値を置き、私の形、私の味、私の色を…という自己主張に明け暮れる、そんな私の生き方こそが極端だったのかもしれません。

▼また、二人の画家の話から思い出すのは、一代、大工の仕事をされてきた、あるご門徒さんからの言葉です。

よく親方からいわれたことは、大工の仕事は「家」を造ることやから、職人同士は「競争」したらあかん。

▼今、私たちは、真に出会うべき広い世界(家)を見失い、私一個の領域で自己主張(競争)を繰り返しているのではないでしょうか。

 


▼浄願寺通信一覧に戻る

 

<<前のページ | 次のページ>>