テーマ 上山奉仕(65座)

2005(平成17)年6月1日


 

上山奉仕によせて 松宮宗顕

 例年冬は冬眠と決めている私ですが、この冬も意外にはやく過ぎ様としている三月、十六組から上山奉仕の御縁をいただきました。共に参加された皆さんが詳しく記されると思うので、私なりに印象に残ったことを少し記したいと思います。
 皆さんと本山に参詣して、先ず御影堂の屋根組工事、仮屋の規模の大きさに圧倒されました。本山は過去四回も焼失したがその都度再建されて、現在は明治二十八年に建立されたとご案内がありました。又本山には以前から直径約十三センチ程の毛綱が展示されています。女性の命ともい   える黒髪を本山再興のため献上された当時の御同行方の厚い信心にあらためて感動しました。一方男性は特に湖北地方の方は詰所に泊まり昼は建設の労務に励み、夜は人々が熱心に法話を聴聞されたと聞いています。その様子は今年の二月、相撲町の二十二日講の御座で(奥澤清秀氏の御宿)千田浄信先生から乗如様の御代に、私達の祖先である御同行方が本山再建のため尽力された旨、拝聴していたので説明がよく理解できました。
 翌日は阿弥陀堂で帰敬式が厳修されました。十六組の方は数名でしたが、秋田県の方は二十名ばかり、その他多数の方が受式されました。私はすでに受けているので下座で参詣していましたが、真宗本廟で御門首様から、おかみそりをいただき佛弟子にさせていただく儀式は、参詣の私達もおのずと清浄心になり、その厳粛さと意義は格別でした。浄願寺さんの同朋会では、住職様から最近は御和讃をおとりつぎいただいています。わかり易く丁寧な説明ですが、老年のせいか帰宅したとたんに見事に忘れてしまいます。ただ、不思議と参らせてもらった後は、とても心地よいものです。
 「弥陀の名号となえつつ 信心まことにうる人は 
  憶念の心つねにして 佛恩報ずるおもいあり」 
 この御和讃の憶念の心、佛恩報ずるおもい等いただくと、先にも記した様に私達の先達は現在よりも、もっと生活そのものが大変であった時代に朝夕の勤行をはじめ、よく信心の深い生活をされていたとあらためて尊敬します。余談になりますが、昨年、相撲神社の氏子総代として貴重な経験をさせていただきました。神社もお寺もともに神佛の御前で誰もが清浄心にたちかえる依処だと思うが、ある時こんな言葉に出逢いました。「神社は自から参る 寺は参らせてもらう」昨年七月、五村別院の夏中法要に御縁をいただいた時、隣の寺の掲示板にあった言葉です。「参らせてもらう」私なりに納得した言葉でした。
 年を重ねても、まさしく行に迷い、信に惑いの日々ですが、今回上山奉仕に参加して、あらためて宗祖親鸞聖人の偉大さにふれて何か親しく…法座の後にも、温い光と味わいをいただく様に思います。
 今回の御縁に心から感謝いたしますと共に余白の時間の限り真宗門徒として法義相続を大切に御念仏の日々でありたいと思います。(合掌)

 

真宗本廟奉仕団に参加して 藤居通夫

 三月十二〜十三日にかけて一泊二日の、真宗本廟奉仕団に参加させていただくご縁を頂きました。「一度上山奉仕をさせて欲しい」と思っていたところ、今般、長浜教区第十六組門徒会から真宗本廟奉仕団として、上山奉仕されるが、参加しないか?とお誘いを受けご縁を頂きました。
 長浜教区第十六組門徒会から二十四名参加されました。他にも奉仕団として、秋田教区から四十数名の多くの方々が、遠方から新幹線を乗り継いで上山されてきました。遠方からにもかかわらず私たちより多人数であることに先ずびっくりした。私達二十四名は二班に別れ、三重教区の加藤雄先生のご指導を受け、先ず自己紹介等オリエンテーションがありました。
 阿弥陀堂参拝の後、諸殿拝観に奥へ案内していただいた。宗議会、参議会が開かれる立派な議場、赤いたたみ縁の宮御殿は本山での、お斎の場として使われているそうです。また百間廊下には唯驚くばかりです。大寝殿の襖絵の雀の画が一羽心無い人により盗られてしまったと聞き、びっくりしました。初めて拝観する諸殿の素晴らしさにだだ驚きました。本山へお参りしても拝観することが出来ない貴重な体験をさせていただくことができました。
 両堂再建のため使用された「毛綱」を目の当たりにして、女の命ともいわれる黒髪を差し出された沢山の先達の心の思いに今更ながら感銘を受けた。現在、御影堂修復工事がおこなわれており、私も家族四人僅かですが志納させて頂いたものの、大きな工事を目の当たりにして、何も出来ない私が恥ずかしく申し訳なく思われました。
 長浜教区合同で、小松教区の柿原秀芳先生より、「宗祖の生涯に学ぶ」と題して講義を頂きました。先生は「宗祖は得道の人である。得道の人との出会いをぬきにしては、真宗の教えは、わたしたちの身につかないことになる」とお話されました。
唯念仏して、弥陀にたすけられる-------これが人間になる道である。とも、親の背中を見て子は育つ------普段の生活が如何に大切であるかを痛感しました。
 翌朝、六時に起床し、身の回りの清掃を済ませ、七時から阿弥陀堂で晨朝法要に参拝した。外は小雪がちらつき、堂内は寒かったが、身の引き締まる思いがした。お勤めの後で帰敬式(おかみそり)がおこなわれた。仏弟子となる厳かな儀式で、私は以前に受けておりますが、改めて当時のことを思い起こしました。
 真宗本廟奉仕は、ありし日の聖人のご恩に報いるため、御真影の安置されている真宗本廟に集い、聖人が明らかにされた教えにふれ、寄り合い、談合し、一人の念仏者が誕生することを願って、真宗本廟への清掃奉仕を全国に呼びかけられたとお聞きしました。念願であった上山奉仕が叶い、今、ここにこうして、御真影の前に身を置いている自分が、本当に幸せ者であることに感謝し、何か熱くなるものを感じました。
 またご縁を頂いたら上山奉仕をさせて欲しいと思いました。(合掌)

 

門徒会奉仕団に参加して 藤居仁彦

 三月としては非常に寒く、時折雪の舞う十二、十三日の両日、十里町高田正之氏の引率のもと、長浜教区第十六組門徒会二十四名の皆さんと、真宗本廟奉仕団として参加させて載きました。
 勤行、阿弥陀堂参拝、諸殿拝観、講義、座談会、清掃奉仕等の日程で過ごさせて頂きました。
御影堂修復の為、阿弥陀堂に、阿弥陀如来像と共に親鸞聖人の御真影が安置され、その前での勤行は、非常に巌かであり、この機会を与えて下さった方々に感謝申し上げる次第であります。
宗門講義、座該会では、小松教区の柿原秀芳師の教導のもと、二日間四時間にわたりお話し載き、その全てがなるほど、その通りと、うなずけるものばかりでした。その中でも小生が感銘を受けましたのは、結婚して、夫妻になり、子が出来て、父母になり、孫が出来て、爺婆となる。この事は、あたり前で、何の疑問も感じていなかったのに、柿原師は、子が出来て、父親母親にならしてもらった。孫が出来て、爺さん婆さんにならしてもらった。この、ならしてもらう事こそ、相手を尊重する大事にする、互いに響き会う心にて、お浄土の世界、真宗門徒の世界ですとお教え下さいました。ご院さんが説教で良く説かれる、矢印の方向が一方に傾いていないかとの問いに、気づかせて頂きました。
 世事に忙しく、煩悩深い自分でありますが、又、この様な機会有れば、是非奉加させて頂き、少しでも宗門のお教えに近ずきたいと思う今日、此の頃で有ります。有り難う御座いました。(合掌)

 

編集後記

 真宗本廟(東本願寺)は言うまでもなく、真宗門徒にとっての帰依処であります。あてにならないものに帰依して生きる私たちが、親鸞聖人から、どのように呼びかけられているのか、その声に耳を澄ます処であると思います。
 この度、相撲町から、上山奉仕として、真宗本廟へお参りされました三人の方の文章を特集(二頁・三頁)させて頂きました。どうぞ、御味読ください。

 


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