テーマ 人の世に真実はない(10号)

1996(平成8)年3月1日


 

表紙

浄土真宗に帰すれども
 真実の心はありがたし
 虚仮不実のわが身にて
 清浄の心もさらになし

愚禿悲歎述懐和讃
親鸞聖人

 

住職記

「さあ、このお宝のお値打ちは?」
「一千万円。」
「ええっ!すごく価値があるのですね。」

■依頼を受けた「お宝」の金銭的価値を鑑定するテレビ番組、『開運!なんでも鑑定団』の中でのやりとりです。

■今の世は、物も、そして人間さえも、子どもなら偏差値であったり、大人なら収入であったりと、そのものの値打ちが数字でしか分からなくなってしまったのではないでしょうか。

■そんな世を歌います。

何につけても数字で評価されて
家庭のルーツまで掘り起こされるの
それで何がわかるんだろう
『泣かないでよ』大黒摩季

■狼に育てられため、狼のまま一生涯を送ったという「アマラ」と「カマラ」という狼少女の話を通して、林竹二さんがこんなふうに書かれています。

人間というものは、人間の子として生まれただけでは人間になれない。
人間は人間になるためには実にいろんなことを学んでいかなければならない。
人間とは何か、人間を人間にするものは何か。
『教育の再生をもとめて』林竹二著より

何もかも、数字でしかものが見れなくなった私たち、またそれを力強く煽るテレビやマスコミ、つくづく…、

人の世に真実はない

という言葉しかありません。そしてこんな「世」という「狼」に育てられ、はたして、本当に人間というものは、いるのだろうか。

■親鸞は、「人間」という文字(真宗聖典916頁)に

「ひととうまるるをいう」と左訓されています。

人間とは、生涯、人になっていく者、人になろうとする者であると教えられます。こんな世にあって、人間になりうる道を親鸞に尋ねたいと思うばかりです。

 

編集後記

▼浄土真宗に帰すれば、この私が少し真実に近づくなどと、ついつい考えてしまうのですけど、決してそうではありません。

真実の心はありがたし
虚仮不実のわが身にて
清浄の心もさらになし

というこの私が実は、

人の世に真実はない

という現実を限りなく生産し続ける者であるという自覚を賜るのです。

 


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