テーマ 愛せてますか(6号)

1995(平成7)年7月1日


 

表紙

ゆっくり歩いていると広い視野でものが見える。
自転車に乗るとその視野は狭くなってくる。
さらに車を運転し、60km、80km、100kmと
スピードアップする程、どんどん見えなくなる。
現代、誰もが忙しい忙しいと走りまわっている。
どこまでアクセルを踏むんだろう。

私はどこまで世界が見えているだろう。
私はどこまであなたが見えているだろう。
ここらでブレーキを踏んでゆっくり考えてみたい。宣了

 

住職記

あなたの知らないところに
いろいろな人生がある
あなたの人生が
かけがえのないように
あなたの知らない人生も
また、かけがえがない
人を愛するということは
知らない人生を知るということだ(灰谷健次郎)

▼いろいろな人生がある…、
それは、その人にしかわからない苦しみがあるということ。
しかし、私の日常は
相手の人生(歴史)を知ろうとしないで、
私の人生(経験)で相手を決めつけていく。
それは限りなく愛を失っているということ。

▼愛別離苦…、いつかはみんな死に別れていかなければならない。
誰もがわかっていることだけど、誰もが忘れていること。
亡き人がそのことを厳粛に教えてくれる。
法事とは、亡き人の声に耳を澄ますということ。

「愛せてますか」
「出会えていますか」
「顔を合わせながら、生きながらにして、すでに愛別離苦になっていませんか」

と私に呼びかけてくる…。

 

あとがき

今回のテーマ「愛せてますか」、
その愛するということを考える時、
私にとっては、やはりこの言葉です。

愛することの出来ない自分自身をどれだけ深く知らされているかという、その者だけに本当に愛するっていうことが始まる(『愛について』竹中智秀講述)

 


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