テーマ 失敗に人間の豊かさがある(127座)

2014(平成26)年10月1日


 

表紙

ねぇ、自分が好きですか?

どんな自分がスキ?
どんな自分かキライ?

うまくいった自分はスキ
失敗した自分はキライ

なかなか受け入れられない 
あやふやな自分がいたりしないかな…?
モヤモヤしている自分が
いたりしないかな…?

私だってそうです。

私を「大人」っていうけど、
ちょっと見た目が大きいだけ。
同じように悩み、苦しんでいるから…。

ここは、安心していいんだよ。
だってここは、
一緒に悩める揚所なんだもん。

ありのままの自分でね☆

「2014年度第3回真宗本廟子ども奉仕団」よびかけ文より

 

『ブッタとシッタカブッタ1』小泉吉宏著より

 

住職記

■昨年、東本願寺の白洲に於いて、子ども奉仕団のレクリエーションで、100人を超える大イス取りゲームをしました。

■しかし、あまり楽しくありませんでした。なぜなら、そこにあるのは、出来るだけイスから離れない子どもたちであり、異常なまでに警戒する姿なのです。それはレクリエーションという楽しい時間とは程遠いものでした。

■でも同時にそれは、子どもたちの悲鳴なのかもしれません。パソコン、ケータイ、車等、機械が現代文化の特徴です。「誤差は10万年に1秒以下の精度を誇る」という衛星電波時計があるぐらいです。機械ほど精密で正確なものはないわけですから、当然、生活が便利になればなるほど、失敗したり間違えたりする人間は許されなくなるわけです。子どもたちをはじめ、社会的弱者にとってこんな行きづらい世の中はありません。

■表紙のよびかけ文や漫画からも教えられることですが、うまくいったことも、失敗したこともどちらも喜ぶ幼児の時から、だんだんと分別がつき、それによってあらゆる機械を発明する大人が失敗を許さない世の中を作り出すのです。そしてそれによって自らも同じように悩み、苦しんでいるのです。

■「教室はまちがうところだ そんな教室 作ろうやあ」の先生(下参照)のように、今、自分に一体何ができるのか…とそのことを本当に悲しむことから出発せねばなりません。

 

『教室はまちがうところだ』
作 ・蒔田晋治 絵・長谷川 知子

 

教室はまちがうところだ
みんなどしどし手をあげて
まちがった意見を言おうじゃないか
まちがった答えを言おうじゃないか

まちがうことをおそれちゃいけない
まちがったものをわらっちゃいけない
まちがった意見をまちがった答えを
ああじゃあないかこうじゃあないかと
みんなで出しあい言いあうなかでだ
ほんとのものを見つけていくのだ
そうしてみんなで伸びていくのだ

いつも正しくまちがいのない
答えをしなくちゃならんと思って
そういうとこだと思っているから
まちがうことがこわくてこわくて
手も上げないで小さくなって
黙りこくって時間がすぎる

まちがいだらけのぼくらの教室
おそれちゃいけない
わらっちゃいけない
安心して手をあげろ
安心してまちがえや

まちがったって わらったり
ばかにしたり おこったり
そんなものはおりゃあせん

まちがったって 誰かがよ
なおしてくれるし 教えてくれる
困ったときには 先生が
ない知恵しぼって 教えるで
そんな教室 作ろうやあ

そんな教室 作ろうやあ

『教室はまちがうところだ』より(途中 中略あり)

 

編集後記

▼考えてみると蓮如さんの座を持ち講をつくり、語れ、語れというその場はきっと、表紙のよびかけ文の

「ここは、安心していいんだよ。だってここは、一緒に悩める揚所なんだもん。」

というそんな場だったのかなと思うのです。そしてそれは仏を介するということで成り立つのだと思います。本来、お寺はそういう場なのでしょう。現代、いよいよそのことが問われてきます。

▼「失敗は成功のもと」という言葉がありますが、それは結局、成功ということに絶対の価値をおいているわけです。勿論、そのことに凌ぎを削り一生懸命生きる人がたくさんおられるのです。が、でもやっぱり…、それは違うと思うのです。そのことを榎本栄一さんの次の言葉に感じます。

またひとつ しくじった
しくじるたびに目があいて
世の中すこし広くなる

 


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