テーマ しんらん交流館にて(144座)

2016(平成28)年3月1日


 

表紙

↑ダキシメルオモイ展 於しんらん交流館より

 

↑ダキシメルオモイ展 於しんらん交流館より

 

↑ダキシメルオモイ展 於しんらん交流館より

 

↑ダキシメルオモイ展 於しんらん交流館より

 

↑ダキシメルオモイ展 於しんらん交流館より

 

↑ダキシメルオモイ展 於しんらん交流館より

 

作者 アーティスト小林憲明さんからのメッセージ

親が子を抱きしめる
僕らも 親も そのまた親も 太古の昔から
抱きしめられて 育ってきました。

子を守る強いオモイは 僕らのなかのどこそこか
密かにすり込まれ 
抱きしめられた記憶が残ってなくても 
受け止めて欲しい 抱きしめられたい
無意識に求めてしまうようです 

子を抱きしめ、抱きかかえられる時期は 限られています 
それは子育ての一番大変で 一番充実している時期でもあります  

その貴重な時間を切りとって描いて生きたい  
この先の未来に この繰り返される営みが 途切れないよう
紡いで生きたいとオモイます

 

ナムナム大集会9

▼2月8日(月)午後1時半〜5時、しんらん交流館にて「ナムナム大集会9」が開催されました。)
ゲストは以下の方々です。

浜矩子さん(同志社大学大学院教授)
白井聡さん(京都精華大学専任講師)
コーディネーター、玉光順正さん(真宗大谷派僧侶)

▼白井聡さんからのひと言です。
「終戦ではなく、敗戦なのです。終戦と言ってしまうと、人間が犯した戦争を天災としてとらえてしまうのです。」

▼浜矩子さんからのひと言です。
「今の世にあって回復すべきは、苦しみ悲しんでおられる方への、傾ける耳、もらい泣き涙する目、差しのべる手だと思います。」
(文責住職)

▼レジュメの趣旨文にはこのように書かれてあります。  

●ナムナム大集会」とは、真宗大谷派僧侶を中心に、多方面で活動される方々に呼びかけた集まりで、宗祖親鸞の生涯をかけた歩みにおいて見出された真実、願いに気持ちを寄せる有志が企画・実行している集会です。●時の権力者、後鳥羽上皇による親鸞流罪から800年の2007年2月9日、東本願寺での法要と講演・シンポジウムを第1回として行い、以来、8回の大集会と2回の臨時集会(裁判員制度が施行された2009年5月と、東日本大震災直後の2011年5月)を継続してまいりました●今回、テーマを「非(ブレナイ)」〜どんなことがあっても、多数の権力の側に加わらず、“ひとり”独立者として自分で考え歩んていく〜として、「ナムナム大集会9」を開催いたします。●親鸞は流罪以後、自身を非僧非俗と位置づけ、国家権力と対峙する姿勢を貫かれました。●歎異抄には「念仏は行者のために、非行非善なり」とあります。念仏がそれをする人にとって非行非善であるとは、念仏は、徹底してこの世とは迎合しないものてあることを示しておられます。●福島、沖縄の問題や安保法制の進め方に見える国家権力の思惑、メディアのあり方、何より、「さしあたっての無難」を求める私たちの持つ体質‥・。一人ひとりの身を離れることのない時代社会の問題に対しても、「一人が声を上げても仕方がない」「そういうものだろう」という意識に飼い慣らされてきた私たちは、一方で「何かが違う」、「このままではいけない」と気づき、変わり始める動きを感じています。●今回は、テーマを「非(ブレナイ)」〜どんなことがあっても、多数の権力の側に加わらず、“ひとり”独立者として自分で考え歩んていく〜として、「ナムナム大集会9」を開催いたします。●ゲストスピーカーに浜矩子さん、白井聡さんをお招きし、親鸞が歩み、私たちが課題とする「独立した人間として生きる」ということを、過去からの声を聞き、未来に生きる人々を思い、今、見るべきもの、聞くべきことをともに確かめてまいりたく存じます。
ナムナム大集会実行委員会事務局一同

 

↑左から、玉光順正さん、浜矩子さん、白井聡さん

 

東日本大震災復興支援協議会

▼長浜教区から、東日本大震災での被災地へ、これまで5回にわたって支援物資が届けられてきました。まもなく、震災から5年という節目に、今回2月17日(水)午後3時〜5時、長浜別院「桜の間」において「東日本大震災復興支援協議会」が開催されました。

▼発題された、木ノ下秀俊さん(仙台教務所非常勤嘱託現地復興支援センター担当)からのひと言です。

「放射能は人には見えない。行政は見せない。私たちは見たくない。故に、この問題はよほど意識しないと見えてこないのです。」
(文責住職)

 

↑一番右、木ノ下秀俊さん

 

長浜教区・五村別院・長浜別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌に向けて

★2019(平成31)年5月、長浜教区・五村別院・長浜別院 宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌に向けて「いただこう あわせる 掌のぬくもりを」のスローガンとキャラクター、そしてお寺の名前が書かれた懸垂幕が各寺院に配布されました。

(以下長浜教区発通知文より)
★「ロゴ」…3本の線は、長浜教区・五村別院・長浜別院を表し、宗祖親鸞聖人の教えが過去から現在、そして未来への絶えることなく受け継がれる「法義相続」を流れる川で表現しています。

★「キャラクター」…長浜教区は日曜学校の結成率が全国で一番高く、最も盛んな教区であります。教えを相続し、次の世代を担う合掌する子ども達をイメージしました。また、このキャラクターの名前を今後、広く公募して決定したいと思います。

★懸垂幕の「色」…私たちが子どもの頃から慣れ親しんできた『正信偈』のお勤め本(赤本)の色としました。

 


 

編集後記

▼2月8日、しんらん交流館にて、「ナムナム大集会9」と「ダキシメルオモイ展」というご縁をいただきました。「ダキシメルオモイ展」は以前から名古屋別院等、各地で開かれてあり、私もぜひ見せてもらいたいと思っていたので、今回実現したことはとても嬉しく思います。その絵の数々を見て、長浜別院で語ってくださった祖父江文宏さんのお話を思い出しました。次のような内容です。

▼生まれたての赤ちゃんをそのまま放置すると、約8時間で死んでしまいます。ということは、人は自分では何も出来ない、全部をまわりの人からしてもらう…、そういう者として生まれて来たんです。その赤ちゃんは何を信じて生まれてくるかというと、それは自分のことを無条件に受け入れ、守り、育ててくれる人がいる、ということをです。実はそれが先に生まれた者と、後に生まれた者との約束。いのちといのちが繋がるための約束です。

▼つまり、ひと言で言えば、無条件に抱きしめられたということなのですね。小林憲明さんも「僕らも」と仰っているように、一人ひとり誰もが…。「ナムナム大集会」も一貫して大切にしていることは、“ひとり”のように思います。

▼3月11日、震災から5年が経ちます。今回の木ノ下秀俊さんの言葉がすごく印象に残りました。そのことによって今もなお、苦悩する人がおられます。苦悩するいのちがあります。浜矩子さんの言葉からも、いかに私がそういう「耳」「目」「手」を失っているかを考えねばなりません。

 


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