テーマ ひとつのいのちに立つ(151座)

2016(平成28)年10月1日


 

敗戦後でも僕はよくこう言われたんです、「これが、国の制度です」「国はこう考えます」。そのたびに役人に言ったんです、「一度、国を連れて来てくれ」「国が言うのだったら国連れて来てよ」「国と一緒にめし食おうやんか」って。
 国はいないよね。あると思う人間にしかないわけでしょう。その国が作り出した基準というものは、ましてない。世間、社会って言うよね。そこの概念や理念などは、もともとは何もない。ないからあると思って作り出す。そしてその価値観で自分を見ようとする、価値観に合わせることによって自分を消す。

『勇気をくれた子どもたち』祖父江文宏著より

 

住職記

▲6月号で人間の留まることのない欲望によって無残にも殺されている動物のことを書かせていただきました。下は、NPO法人アニマルライツセンターより、「毛皮、動物実験、畜産と環境などのチラシの配布に協力してください。」とあり、今回掲載させていただきました。今年、一千回忌にあたる源信僧都の言われた「極重悪人」である私たち人間の姿です。

 

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あとがき

▼先日、他教区の夏のつどいにご縁頂き、一泊二日の時を過ごしました。日程終了後に申し訳なくもお手当を頂きました。ところがその際、マイナンバーの記入を求められました。一般企業ならともかく、真宗大谷派の宗門内の教務所がそれをするのはどうかと思います。それが決まりかも知れませんが、あまりにも安易に従いすぎているように思いました。

▼だいたい国が一人ひとりを番号で管理するのはどう考えてもおかしいと思います。その発想こそ、真宗大谷派が大きな問題として取り組んできた靖国問題だったのではないでしょうか。あらためて祖父江文宏さんの言葉を思い出します。(表紙参照)

▼人の上に国という権力を置く時、私たち一人ひとりが消されていくことになるのです。上のチラシもそうですが、やはり私たちの立つべきところは、「ひとつのいのちに立つ」なのです。

▼ちなみに、教務所の人たちを困らせても悪いので、仕方なく記入しましたが…、このことは教務所できちんと話し合ってくださいとだけ言わせて頂きました。

 


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