テーマ 田の字の家(159座)

2017(平成29)年6月1日


 

表紙


 

純和風庶民文化旅館「となみ詰所」案内書より

あなたがた、決Lて我が家にお内仏があるとか
我が家に仏さまを安置するとおもうてはなりませぬぞ
我が家と思うところに間違いがある
仏さまの家に私が住まわせて頂くとおもいなさい

詰所中興の妙好人 砺波庄太郎

 

住職記

■大阪に居た頃、住職の代わりに門徒さんの家にお参りに行くといつも少し困ったことがありました。それはお内仏(仏壇)の場所なのです。大阪は住宅が多種多様で、色々な場所にお内仏があるため、たまにお参りにいく私にはそれがわからないのです。素直に「お内仏はどこですか?」と聞けばいいのですが、いかにもピンチヒッターという空気の中で、正直それがなかなか言えませんでした…。

■その後、浄願寺に入寺させていただき、相撲町の門徒さんの田の字の家(写真下)

 

に驚きました。玄関から入るとほとんどの家が一番上(かみ)である座敷にお内仏が安置されていました。そしてそこに住む人たちは我が家なのにまるで遠慮しているかのように奥の部屋で生活されているのです。もう、「お内仏はどこですか?」と聞く必要はありませんでした。田の字の家は仏さまを家の中心、生活の中心にして生きておられる人たちの家であると感じました。あらためて砺波庄太郎さんの言葉(表紙参照)が重なります。

■田の字の家では、法事参りでも目の前に当家の主人が居ても、まずお内仏に「南無阿弥陀仏」と合掌です。それから、当家の主人に「今日はお逮夜(法事)に参らせていただきました」と挨拶が後です。やはり砺波庄太郎さんの言われる「仏さまの家」だからなのでしょう。これは相撲町だけでなく、同じく湖北の春近町での棟木名(屋根の骨組みの頂部に用いられる水平材。棟に用いる木。それに書かれた字)に「念仏道場」と書かれた家の話や、びわ町難波の「南無六字城(なむろくじのしろ)」の額(写真下)

 

が掲げられた家の話も聞かせていただきました。竹中智秀先生が言われていた「真宗門徒の家は如来の家である」の言葉も思い出されます。

■今、便利と快適といった欲望を中心に生活する(写真下)

 

現代人が田の字の家を建てられた先達から厳しく問いかけられているように思います。私もまたその声を聞かねばなりません。「お前は何を中心に生きているのか」と…。

■最後に全世界で活動されているティク・ナット・ハン師が「日本語版への特別の序」と題して特別に書かれた文章を掲載させていただきます。

私は日本の文化、芸術、そして霊的遺産のなかにある美しいものを、いつも賞賛し大切に思ってきました。釈尊の教えと仏教の実践が、その美しい遺産を生みだす重要な役割をはたしてきたからです。しかし、もしかしたら、その遺産を受け継いできた私たちの日本の兄弟姉妹のなかに、その美しさのかけがえのなさに気づいていない人がいるのかもしれません。それはちょうど、あなたが一軒の家に永年にわたって住みつづけてきて、その家の美しさに慣れっこになってしまって、この家を愛で親しむ気持ちを忘れてしまっているようなものかもしれません。訪ねてきた客は、あなたの家のなかにあるたくさんの美しいものを味わい楽しむ新鮮な目を持っています。その客に家を案内しながら、彼の情熱に満ちたまなざしをとおして、もう一度あなたの家のなかにあるさまざまな美しいものにむかいあうことができたら、あなたはそこに住む誇りと喜びと自信をとり戻すことができるかもしれません。(中略)私は日本の人々とその文化に深い信頼を寄せています。

『生けるブッダ、生けるキリスト』ティク・ナット・ハン著より

 

編 集 後 記

▼今年の門徒総会において、今回のテーマの田の字の家について、あるご門徒さんがこんなふうに話されました。

▼相撲町の田の字の家は空き家であったり、お年寄りの人だけが住んでいて、若い世代の人は○○ハウスとよばれる家に住んでいるということになりつつ、これから益々増えていくように思う。そうなると自宅で法事を勤めることが難しくなるのではないかと危惧される。寺離れ、宗教離れが進んいる現代、これまでの遺産も大事だが、これからを特に考えていかなければいけないと思う。浄願寺での法事、さらに浄願寺への納骨等も視野に入れ考えていくべきだと思う。(文責住職)

▼建設的な言葉に私自身も身が引き締まる思いがしました。これまでの遺産、田の字の家にかけられた先人の願いをしっかりと刻み、何よりも自分自身が何を中心に生きているのかと自問しながら、いっしょに考えていきたいと思います。

 


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