■E・Sさん(いわき市)
震災から十二年。
震災後、私たちの当たり前の生活が奪われてしまいました。
苦しみや不安、先の見えない福島でどのように子どもを育てたらいいのか考えさせられる日々でした。
何が正しい情報なのかもわからないため、いいと言われることはやってみたり、安全な遊び場を求めて毎月のように県外に出掛けたり、食べるものも安心安全なものを食べさせてあげたいという思いで、遠方から取り寄せたりもしていました。
ここまでの十二年間で私の心の支えとなったのは、保養への参加だったと思います。
子どもが笑顔で、のびのびと外で遊んでいる姿を見ることが出来たり、参加しているお母さん達と悩みを共有できたり、スタッフやボランティアの方々と語りあい、話を聞いてもらえるだけで、気持ちがとっても軽くなりました。
現在は、原発事故のニュースはほとんど見ることがなくなり、汚染水の海洋放出も当たり前のように話が進んでいます。そんな中でも今でも福島の子ども達に保養の場を作ってくださることはとてもありかたいです。
皆さんお忙しい中、私たちのために計画から準備、後片付けまで本当にありがとうございます。
今回の滋賀保養も素敵な場所に宿泊でき、お話もできて心身共にリフレッシュできました。
また、皆さんにお会いできることを楽しみにしています。
『福島の子どもたちの一時避難受け入れの会』会報第11号より
▲福島の子どもたちの一時避難受け入れの会 会報第11号表紙より
■10年前、浄願寺通信(117号)に書かせて頂きましたが、京都教区には『福島の子どもたちの一時避難受け入れの会』という組織があります。
■この会は有志から始まり教区事業となりました。
■東日本大震災による原発事故の影響で、現在もなお制限された生活が続くご家族や子どもたちのストレス緩和を目的に取り組まれています。
■今年も3月30日〜4月2日近江八幡ユースホステルに於いて、6家族18名の参加のもと保養事業が開催されました。
■そして先日9月5日に発行された会報第11号には次のように書かれています。
以前この保養に来てくれていた福島のお母さんから、娘さんが専門学校に入ったという連絡と入学式の画像をいただきました。初めて保養に来てくれたとき、その子は幼稚園に通う年齢でしたから、スーツを着ている画像を見ると、あらためて時間の経過を感じさせられます。
東日本大震災、福島第一原発事故から十二年、京都教区の保養事業をはじめて十一年が経ちました。我々はあの頃のような眼差しで、原発を、国を、そして福島の人を見ているでしょうか?
保養に関わり、福島の方と顔を合わせて 出会うことを通して、忘れていた大事なことを思い出させてくれるような感覚になります。
今後ともご支援のほどよろしくお願いします。
■また表紙には同じく会報から、参加されたお母さんの声を掲載させて頂きました。
■このように2023年8月1日現在で避難者数は30,115人で、今も苦悩を強いられている現実があります。
■そして先日、ふくしま復興情報ポータルサイト(※2023年2月ふくしま復興ステーションから改名)に電話で問合わせた所、小児甲状腺がんがまた増え、2023年3月31日現在で316人が悪性、悪性の疑いと診断されています。
(2021年・256人)
(2022年・296人)
■これは福島でおおむね18歳以下の人を対象とした検査で、これまで約30万人が受診されています。通常、100万人に1〜3人の発症と言われる小児甲状腺がんが316人です。この多発な数字から、これは福島原発事故によることは明らかです。何よりも最優先は命であり、特に子どもたちを守らなければなりません。
■当時からのキーワードである「決して忘れない」とは記憶力のことではなく、誰と共に生きるのか、ということなのです。
■親鸞聖人の
いし ・かわら ・ つぶてのごとくなるわれらなり。
『唯信鈔文意』(真宗聖典553頁)
の言葉がいつも、私たちに立つべき小さないのちとの世界を教えてくださいます。さらに親鸞聖人は「われら」を次のように書かれています。
「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。
『尊号真像銘文』(真宗聖典521頁)
■衆生とは生きとし生けるすべてのいのちですが、あらためて緒方正人(漁師、水俣本願の会副代表)さんの次の言葉が思い出されます。最後に頂きたいと思います。
原発をめぐる人間同士の「賛成」「反対」の対立の場に、その仲介者として他の生き物に入ってもらうべきではないか。原発を推進する他の生き物がはたしているでしょうか。そんな衆生はどこにもいません…。
▼来年の7月1日から教区改編によって、長浜教区と京都教区がひとつになります。
最初から正直私もデメリットしかないと感じていました。
▼しかしそれだけではやっぱりなくて、1番最初にメリットを感じたのは、「部落差別問題に関する改編懇談会」という会でした。京都教区の真摯な方々と部落差別問題をはじめ諸差別の課題についての密な話し合いの場を何度も頂いています。
▼そしてまたこの度、京都教区とひとつになり、長浜教区には無い『福島の子どもたちの一時避難受け入れの会』の何かお手伝いが出来れば…と思っています。それは私にとって2番目のメリットだと感じています。
▼とにかく教区改編という前途多難の道だと思いますが、ただそこに開かれる出会いの場を信頼したいと思うばかりです。