滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-
●テーマ 2008(平成20)年 相撲二十二日講(59号)
2008(平成20)年2月1日
1月21日〜22日、北川次夫様宅にて、相撲二十二日講 (まわり仏さん)が勤まりました。(浄願寺メモに写真を何枚か追加しました。)
写真
↑準備(床の間の荘厳)
↑お宿の北川次夫様宅の門に提灯設置
↑お内仏(仏壇)の横、床の間に右から、南無阿弥陀仏、乗如上人、教如上人の御影
↑お内仏(仏壇)の横、床の間に右から、南無阿弥陀仏、乗如上人、教如上人の御影
↑皆でお勤めをします。
↑お勤めの後、御書拝読です。
↑三原了雲先生(来現寺住職 弓削)の法話です。
↑家が仏法聴聞の道場となります。
↑家が仏法聴聞の道場となります。
↑会長の藤居隆一郎様より講師へお礼の言葉です。
↑会長の藤居隆一郎様より皆様へお礼の言葉です。
↑一日目、日程終了後の夜、皆で甘酒をいただきます。
↑二日目、全日程終了後、当家様夫妻より焼香です。
↑全日程終了後、当家様夫妻より焼香です。
↑全日程終了後、会長より焼香です。
二十二日講について
一七八八年一月三十日、京都の大火により、第十九代乗如上人の時、東本願寺が焼失しました。その後、再建にあたって、国もとを離れ、お小屋(詰所)に合宿し、従事された湖北三郡のご門徒方の労苦に対して、本山より、御寿像(ごじゅぞう)と御書(ごしょ)が下附されました。これは今まで、先例もないことで、当時の代表の人々は、法義相続の願いをひとつに、乗如上人の御命日(二月二十二日)にちなみ、湖北三郡一円の二十二日講を組織されました。それ以来、毎年二十二日講の法要が勤まり、今日まで、二百年以上の歴史を重ねています。相撲町に於いても、毎年一月末頃、ご門徒の家を御宿とし、勤められています。
二十二日講(御巡化法要)の運営組織と厳修方法
二十二日講の組織は湖北一市三郡を六つの地区に分けて構成されています。
1、旧長浜町
2、旧坂田郡西部(山西)
3、旧坂田郡東部(山東)
4、旧浅井郡東部(上組)
5、伊香郡一円
6、旧浅井郡西部(下組)
毎年十二月二十六日から翌一月八日まで、二幅の御影を双懸(そうけん)して「御越年(ごおつねん)法要」が営まれ、参詣された各組の代表者がここで供えられたお鏡(二十四枚)を分けて頂いて帰り、これに餅米をつき混ぜ「鏡割り法要」を厳修し、この御座にお参りした各集落の世話方は、頂いたお鏡に更に餅米をつき混ぜて必要な量のお鏡やお華来を作り、集落毎の「御巡化(ごじゅんけ)法要」をお勤めしてお供えを各戸に配られる仕組みになっています。
「御越年法要」はこの組織の一から六の順序でお勤まりになり、その後、一から三の組織で一幅の御影が、四から六の組織であと一幅の御影が御巡在になりますが、「鏡割りお講」は各組織のそれぞれ数カ所(概ね旧村落)で、営まれ、そのあと各集落への御巡在となる訳であります。
こうして、湖北二市二郡全ての御門徒が二十二日講の御縁にお遇いすることが出来るようになっています。今日、私たちはこの勝縁に遇い、乗如上人の御苦労、我がご先祖のご苦労と喜びの姿を偲びつつ、更に二百有余年連綿と伝えられてきた法悦の歴史を感じて、掌を合わす我が身の誇りと幸せを噛みしめたいものであります。
二十二日講参考資料より
編集後記
▼講師の三原先生は、法話の中で、「現在は過去を通して未来する」という、曽我量深先生の言葉を紹介されました。
▼過去を忘れ、未来のことなど考えず、その時その時、ひたすら、我が楽しみを求めて…と現在を刹那に生きる者こそ、今一度、聞き直さなければならない言葉だと思います。
-浄願寺 -
滋賀県長浜市相撲町654
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