滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


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●テーマ 2007年 報恩講(80座)

2007(平成19)年12月15日

表紙
十一月三十日(金)から十二月二日(日)、浄願寺に於きまして報恩講法要が勤まりました。ここに写真を掲載しご報告させていただきます。(浄願寺通信に写真を加えています。)
                                                       合掌  
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↑11月25日(日)朝 仏具 お磨き
↑11月29日(木)夜 内陣 荘厳
↑11月29日(木)夜 お華束盛り
↑11月30日(金)朝 山門 提灯設置 幕張り
↑11月30日(金)朝 玄関 幕張り
↑11月30日(金)朝 向拝 幕張り
午後一時半 初逮夜
↑御伝鈔拝読 上巻 澤面宣了(当寺)
↑御伝鈔拝読 下巻 和田英昭氏(岐阜 照明寺)
十二月一日(土)午前六時半 晨朝
↑御文拝読 和田英昭氏(岐阜 照明寺)
↑法話 五辻元氏(長浜教区 駐在教導)
ひと言 本願に出会うということは、生きる力をいただくということ、それは、やはり、人との出会いによる。  
午前十時 日中
↑御文拝読 筧承氏(山ノ前 蓮光寺)
↑感話 和田英昭氏(岐阜 照明寺)
ひと言  報恩講に、常に忘恩している自分を思う。
↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 いいか、わるいかという、日ごろのこころを体質として生きている。
午後一時半 大逮夜
↑御文拝読 禿子慈孝氏(北方 通来寺)
↑感話 黒田真氏(宮司町 満立寺)
ひと言 遺骨から呼びかけられている声なき声がある。
↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 時代と社会の業がこの私に宿っている、これを宿業という。
十二月二日(日)午前六時半 結願晨朝
↑御文拝読 澤面章氏(当寺)
↑感話 成井暁信氏(奈良 西教寺)
ひと言 してあげているつもりの私が実は相手から育てられていた。
↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 みんながしているから自分もする、そこに正直さはない。
↑お斎
午前九時 子ども報恩講

午前十時 満日中
↑献花(子どもたち一人ひとりから)
↑御俗姓御文拝読 島野政友氏(大阪 貞正寺)
↑感話 木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
ひと言 人に対しても、自分に対しても、品評ばかりしている。
↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 誰もが、今、ここにあるというかけがえのない時を生きている。
内陣出仕僧の方々(他所より)
●成井暁信氏(奈良 西教寺)
●島野政友氏(大阪 貞正寺)
●和田英昭氏(岐阜 照明寺)  
●山階誠氏(泉 了願寺)
●禿子慈孝氏(北方 通来寺)
●黒田真氏(宮司 満立寺)
●木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
●筧承氏(山ノ前 蓮光寺)
●武田晃威氏(国友 遍増寺)
          
(順不同)
編集後記
▼法話の中で、五辻さんは、

「一番安心出来ないのは、友達といる時です…」

こんなふうに語る学生がとても多いのですと話されました。それを聞いて、教育ジャーナリストの青木悦さんの本のタイトルを思い出しました。

『孤独な、なかよし』

友達にさえも本音が言えず、いい子を演じなければいけないそんな世界を生きているのですよね…。さて、こんな世界をつくり続けているのは誰なのでしょうか。高橋先生が言われる、

「いいか、わるいかという、日ごろのこころを体質として生きている」

私たち大人が、現代ほど問われている時はないと思うのです。

▼今年も、また「報恩講」に遇わせていただきました。準備から色々とお世話をしてくださいました総代さま、婦人会の皆さま、法中さま、そして皆々さま、ありがとうございました。
                                                       合掌

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