滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-
●テーマ 震災から2年(112座)
2013(平成25)年3月1日
表紙
あなたたちに詫びなければならない
素足で歩ける大地
思い切り倒れこめる雪原
せせらぎに飛沫(しぶき)をあげて歩く浅瀬の川
木漏れ日にふり仰ぐ森
色とりどりの落ち葉のプール
大地のエネルギーを蓄えた安全な作物
それらすべてを奪ってしまったことを
あなたたちに詫びなければならない
私たち大人の無知と無自覚と愚昧(ぐまい)の結果
薄汚れた札束と引き換えに失われた日々
きらびやかな電飾の嘘
オール電化の指一本で回す生活
セシウム四百九十ベクレルのおしゃれなランチ
美しく盛り付けられた遺伝子組み換えのディナー
あなたたちに詫びなければならない
あなたのいのちの遺伝子が傷つき
あなたの体からセシウムが検出され
あなたの甲状腺が腫れたこと
私たちにできることは
真実を探し続けること 伝え続けること
闘い続けること あなたたちを連れて逃げること
ひとつひとつの野菜や肉や魚を選び
私たち自身の手でくらしを紡ぎなおすこと
もう一度はじめから やり直そう
海が汚れる前の 土が汚れる前の あの日
一番最初の あのときから
じんるいが 間違えたあのとき
原子力発電所が 私たち女の胎内 いのちの源まで
まっすぐに 直進を始めた あのとき
詩集『3・11後の 新しい人たちへ』より
住職記
■去る1月31日、東本願寺(真宗本廟)視聴覚ホールでの「第6回原子力問題に関するする公開研修会」 (下写真) に参加しました。そこで、弁護士である井戸謙一さんと福島県内や、関西に自主避難(疎開)し、子育てをされている保護者の佐々木るりさん、中村純さんのお話を聞かせていただきました。現場に身を置く方の、声をつまらせ涙ながらに語られるその言葉に、ただこの社会と自分自身が問われるばかりでした。当日、用意してくださいました、お二人の文章の一部をここに掲載させていただきます。
※ここでは全文を掲載致します。
佐々木るり
震災から1年10ヵ月が経過しました。幼稚園、寺の敷地内は、主人らが自力で除染をし続けているため徐々に線量は下がっています。しかし、まだまだ安心して暮らせる環境とは程遠く、思うように外遊びができないなど、子どもたちはいまだ不自由な生活を強いられています。野菜や米、果物などの放射能測定も徹底しておらず、また国が定めている安全基準にも疑問を感じ不安がぬぐい去れないため、結局福島以外の食料に頼らざるを得ない状況です。避難区域から県内外に避難されている6万を超える住民、指定区域以外の自主避難を強いられている方々、ひとり残って福島で働きながら家族の帰りを待ちわびる父親。こうした中、放射能対策に疲れ果て「もう放射能の話題など聞きたくない」と耳を塞ぎはじめる大人たちも増えはじめているのも事実です。このような状況のもとでどうしたら子どもたちを守っていけるのか、山積する問題とどう向き合っていくのか、これが今の私たちの課題です。
震災後は、安心して食べられる野菜市場委員会を立ち上げ、こどものいる家庭に野菜を配る活動や、支援していただいたお野菜やお米で得た収入で福島の子どもたちを県外ヘ一時避難させる活動を行ってきました。現在メンバーとして立ち上がってくれたお母さんたち十数名と―緒にこどもたちのための安全な昼食づくり、放射能の勉強会や福島の現状の発信、食品の放射能測定、などなど活動の幅を広げています。
なにもせずに福島で暮らすのは、まだまだあまりにも危険です。それでも福島には様々な事情を抱え避難できない子どもたちがたくさんいます。子どもたちの被ばくをふせぐために自分たちにできること。除染、定期的な県外保養、食品の放射能測定(安全な食料の確保)、内部被曝検査、より細かい空間線量測定、異常の早期発見などなど「思いつくことはとにかくやる」また「他人や行政をあてにしすぎない」という姿勢を貫くしかない、今はそう肝に銘じています。
復興という文字だけが虚しく空回りする福島の現状に、涙の流れない日はありません。美しかった福島を思い返すとき。子どもたちを守りきれているのかと自分に問いかけるとき。故郷を離れたったひとりで子育てをする友人らの心情を思うとき。「もう一度ただいまが言いたい」と、単身で福島に残る父親たちの嘆きを聞くとき。なぜこんなことになるまで原発の恐ろしさに気がつけなかったのかと、その愚かさを悔やむとき。子どもたちの穏やかな寝顔を見つめるとき。その将来がどうか幸せであってほしいと願うとき。
忌まわしい原発事故が吹き飛ぱしたもの。それは、私たちがこの地で紡いできた歴史や文化、そしてそれぞれが思い描いてきた福島の未来への希望と誇りでした。「これでよかった。」と心から思える日はもう一生来ないのかもしれません。でも、せめてこれからの残された自分の人生は「原発はいらない」と精一杯声を上げ続けたいのです。原発に怯えなくてもよい生活が1日も早く実現すること、いのちがいきいきと輝ける未来がくることを強く強く願っています。
愛する者たちヘ 一緒に闘いましょう 中村純
長い夢を見ているのならどんなによいでしょう。私は、まだ三月一一日の延長上の時間にいます。時間が私を追い越していきます。当時二歳だった息子は、四歳になりました。
夢であったらよかったのに、幾度そう思ったかわかりません。私の人生で初めて体験した、大地そのものが転覆するかのような地震、息子がおびえた、ひと月以上続いた携帯の緊急地震速報。地震と津波は、東北の大地を暮らしごと、人のいのちごと呑みこみました。海の底に今もある人々の暮らし。さかさ雨のふる海の底で、そのいのちはどのように在るのでしょう。二歳の息子を抱え、京都に一時避難して、東北の海の底を思っていたとき、東京電力は、汚染水を大量に海に投棄しました。ご遺体もあがらない海に、です。
私たちは、いつまで、このようにいのちが踏みにじられるのを、見続けなくてはならないのでしょう。これは、大量ジェノサイド(虐殺)ではないのでしょうか。明るいガス室に、国民を置き去りにして、見え透いた嘘と隠ぺいを重ねる国を信じ込もうとする私たちの弱体化した知性。私たちは、夢を見たまま、静かに病んで、死んでいくべきですか?
福島県からの避難者は、今も一六万人。子どもたちの健康を不安に思った関東からの避難移住者も多く、京都に暮らしています。線量も高い、土壌汚染もひどいエリアに、人が暮らしています。チェルノブイリ事故後のベラルーシの基準でいえば、福島県全域、北関東、首都圏の半分が、移住権利区域と放射線管理区域の土壌汚染に認定される値を示しています。そこに、人びとは、表面上は、何事もなかったかのように、原発事故はもう収束したかのように、汚染はなくなったかのように暮らしています。
しかし、私たちは、夢を見ていないで、愛する者たち、未来の者たちを守るために目覚めて、正気でいなくてはなりません。病んでもいけません、死んでもいけません、泣いてもいいから、歩き続け、闘い、できることをし続けていかなければなりません。
子どもを抱えた親たちが、西に逃げてきます。東に残る親たちが、必死に安全な食を求め、砂場を入れ替えます。子どもたちに、謝らなければなりません。大地に足の裏をつけたことのないちいさな人たちに。鴨川は触っていいの?と、私を見上げた三歳だった息子に。私は子どもを産んで大丈夫なの?と、訊いてきた10代のあの子に。
一緒に闘いましょう。昨年亡くなった、大好きな先輩が手渡してくれたこのことばの、逝ってしまったひとの離された手を、私はまだ握ろうとしながら、その手を、もっと多くの人とつなぎたいと願いながら、今日はここにまいりました。
▲左から中村純さん 佐々木るりさん 井戸謙一さん
●井戸謙一 1954年生まれ。2002年から2006年まで金沢地・家裁部総括判事。現在、滋賀弁護士会所属。石川県志賀原発2号機差し止め訴訟では、「電力会社の想定をこえた地震により原発事故が起こり、住民が被曝する可能性がある」とし、運転差し止めを命じた。現在「ふくしま集団疎開裁判(仙台高裁)」、「若狭原発再稼働禁止仮処事件 (大津地裁)」、「大飯3・4号機定期検査終了証交付処分差し止め請求訴訟(大阪地裁)」の弁護団。
●佐々木るり 1973年生まれ。福島県二本松市在住。真宗大谷派寺院「真行寺」で副住職の夫と共に寺務職の傍ら、寺に隣接する同朋幼稚園の教諭。五児の母。福島第一原発事故以降、こどもたちを被曝の影響から守るために、園児の母たちと「ハハレンジャー」を結成し、全国から送られてくるおの青空市場開催、セシウム0の園児食「るりめし」作り、講演等で活動中。
●中村純 東京生まれ。詩集「草の家」「海の家族」(土曜美術社出版販売)、詩と思想新人賞、横浜詩人会賞を受賞。編集者、教員を経て、原発事故後、京都に移住。原発事故後の2011年4月、内部被曝から子どもを守る会を立ち上げ、給食や砂場など行政交渉。移住後は、内部被曝から子どもを守る会関西疎開移住者ネットワークをつくり、孤立しがちな避難者を結ぶ。お話会や詩の朗読「避難移住者の手記」「詩集 3.11後の新しい人たちへ」の編集発行などに取り組む。手記の売上で「子ども検診基金・関西」を、東本願寺の女性僧侶たちと準備中。
編集後記
▼3月11日、震災から2年が経過します。だんだんとその報道や記事が少なくなるこの頃、あらためて、今もなお苦しみ悲しむその声に耳をかたむけねばなりません。そして決して忘れてはなりません。
▼先日は、放射性物質に苦しむ人々を守るための「福島原発事故に関し、厳正な捜査・起訴を求める署名」の紙署名とネット署名をお願い致しましたところ、多くの方のご協力を賜り、誠にありがとうございました。今回の講師である井戸謙一さんもまた、研修会当日このようにお話くださいました。
交通事故を起こした加害者が被害者に対して、社会的責任を取ることは当然の義務であるように、国策としてきた原発の事故を起こした加害者の国や政府が原発事故の被害者に対して、責任を取るのは当然の義務である。それは「支援」ではなく「補償」なのです。(文責住職)
▼佐々木るりさんと中村純さんの文章の全文は浄願寺ホームページに掲載しています。ぜひ、お読みくださいませ。
-浄願寺 -
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