滋賀/長浜 真宗大谷派浄願寺

滋賀県長浜市のお寺
-真宗大谷派浄願寺-


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●テーマ 十五才(125座)

2014(平成26)年8月1日

表紙
手紙 〜拝啓 十五の君へ〜 作詞・作曲・歌 アンジェラ・アキ



拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう 

十五の僕には誰も話せない 悩みの種があるのです

未来の自分に宛てて書く手紙なら 
きっと素直に打ち明けられるだろう 

今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は 
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて 
苦しい中で今を生きている 
今を生きている

拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです

自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる

荒れた青春の海は厳しいけれど 
明日の岸辺へと 夢の舟よ進め

今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど 
苦くて甘い今を生きている

人生の全てに意味があるから 恐れずあなたの夢を育てて
keep on believing

負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は
誰の言葉を信じ歩けばいいの?
ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの 
いつの時代も悲しみを避けては通れないけど  
笑顔を見せて 今を生きていこう
今を生きていこう

拝啓 この手紙読んでいるあなたが
幸せな事を願います
手紙 〜拝啓 十五の君へ〜 YouTube

住職記
「私は何のために生きているの?」

「人生と何?」

■人生不可解の思春期、青春期の頃、そんな苦悶な問いが怒涛のように襲いかかってきます。
■何年も前になるのですが、表紙の詩はそんな人生そのものに苦悩する十五才の人を綴った歌です。この曲を初めて聞いた時、そう言えば私にも…という忘れていた感覚とともに、ひどく共鳴したことを思い出します。特に1番の

「十五の僕には誰も話せない 悩みの種があるのです」

「ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて 苦しい中で今を生きている」

の言葉にただもううなずくばかりでした。
■同じように親鸞聖人も十五才の頃、比叡山で

「誰にも話せない」

孤独の中で

「誰の言葉を信じ歩けばいいの」

かとただひたすら道を求められたのでしょう。
■それにくらべて、大人になった私はどうだろう…。実は年を重ねれば重ねるほど、真剣に悩んだり求めたりということを置き忘れてきたように思うのです。
■以前、相撲町のご門徒さんとの会話の中で、大切なことに気付かされたことがありました。その人は女性の方 で仕事を持っておられ、それに旦那さんが京都へ単身赴任のため行ったり来たりというとてもハードな生活をしておられるのです。ところがどんな多用の中でも、法事にはよっぽどのことがない限り、遅れてでもお参りされるのです。そんな姿に私が

「〇〇さんは立派ですね」

と言うと、その方は

「私は相撲町の中の何軒かの親類の家だけですけど、ごえんさん(住職)は相撲町じゅうの家にお参りされるじゃないですか」

と言われたのです。その時、とっさに私の口から出た言葉はなんと

「私は仕事ですから」

でした……。それは、真剣に悩んだり求めたりということを置き忘れてきたどころか、真宗の教えをビジネスにしてしまっているということです。それは、ずばり食い物にです。
■ふとある詩を思い出しました。

食わずには生きてゆけない
メシを 野菜を
肉を 空気を
光を 水を
親を きょうだいを
師を 金もこころも
食わずには生きてこれなかった
ふくれた腹をかかえ
口をぬぐえば
台所に散らばっでいる
にんじんのしっぽ
鳥の骨
父のはらわた
四十の日暮れ
私の目にはじめてあふれる
獣の涙
「くらし」石垣りん

■親鸞聖人は法然上人と出遇い

「誰の言葉を信じ歩けばいいの?」

という問いに対して

「よきひとのおおせを かぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」

と教えてくださいます。こんな私に、すでにしてよきひとの言葉が残されているのです。先の石垣りんさんの

「私の目にはじめてあふれる 獣の涙」

の言葉と重なるよきひとのおおせがあります。

自分が可愛い
ただ それだけのことで
生きていた 
それが 深い悲しみとなったとき 
ちがった世界が
ひらけて来た。
「回心」浅田正作

■十五才の頃から年を重ね、愛欲と名利に汚れてゆくそんな何の手立てもない私においては、よきひとのおおせと

「自分の声を信じ歩けばいいの」

という私の心の底におこるうながしの声に歩くほかありません。
編集後記
▼今の十五才の人たちの置かれている状況は、昔とはずいぶん違うように思うのです。より速く、より確かな答を出せという現代社会にあって、人生を問う暇もないのかも知れません。そんな生きづらい世の中を作ってきたのは、ほかでもない先に生まれた私たち大人です。ちなみに息子の蓮は満の十五才です…。

▼浅田正作さんは、人生に挫折し、しかしその苦悩から人生を生き抜く道を示しくださいました。同じく浅田正作さんの「骨道を行く」という詩を紹介致します。

人生 それは
絶望以上の現実だった
だが この苦悩に身を投じ 
骨となって
願いに生きた人がある
骨道ひとすじ
私もこの道を行こう

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