テーマ 次男 三男にお内仏(仏壇)は不要か?(16号)

2001(平成13)年1月1日


表紙

お仏壇には、いわれもなき迷信・俗信がつきものです。そんなことから、ここ数年、さまざまな形で俗習にとらわれないようにとの指導が行われ、効果が上がっているといわれます。たとえば、長男の家にお仏壇があれば、次男 三男の家には無用といった奇説にまどわされなくなったというのです。この奇説によると、次男 三男が仏壇をもつと

「先祖が行き迷う」

というのです。せっかく長男の家に(先祖が)落ちついているのに、次男 三男の家にまで仏壇があると、うろうろしなけれぱならないではないか、というのです。しかも、この奇説を補強するのが、なんでもないときにお仏壇をむかえると

「新仏が出る」

という、まことしやかなささやきでしょう。これらの俗説を通じて言えることは、お仏壇に対する基本的な誤解でしょう。つまり、お仏壇は死者の入れ物というあやまった解釈に立っているのです。だから、入れ物を求めた以上は、中身(新仏)をいれなければならないという幼稚なおどしにむやみにおびえなければならないのです。いうまでもなく、お仏壇は死者や先祖の入れ物でなく、ご本尊・阿弥陀如来のお館です。浄土真宗の門徒としての日常生活の心のよりどころです。古い文献には

「家に仏を置いたと考えてはならない。家のあるじとしてお給仕せよ」

と指示されていますように、そういう尊い生活は、なにも長男だけにかぎることはありません。こうした本来の意味が正しく理解されるようになって、次男 三男が新居をかまえるときは、なにはおいても、一家の

「心の生活」

の中心であるお仏壇を贈る親が増えてきているのは、よろこぱしいことです。

●お仏壇は次男 三男の家庭にも必要です。家族の心が一つになることのできる場所、それがお仏壇だからです。

↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用

▼住職から最後のひと言
本文中は「仏壇」とありますが、真宗では「仏壇」よりも「お内仏」(おないぶつ)と呼びます。


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