1月23日〜24日、藤田輝雄様宅にて、相撲二十二日講 (まわり仏さん)が勤まりました。(浄願寺メモに写真を何枚か追加しました。)
↑お宿の藤田輝雄様宅に提灯設置
↑お宿の藤田輝雄様宅に提灯設置(夜)
↑お内仏(仏壇)、床の間の荘厳
↑お内仏(仏壇)の横、床の間に右から、南無阿弥陀仏、乗如上人、教如上人の御影
↑まもなく勤行
↑勤行
↑勤行
↑御書拝読
↑講師 笠原俊海先生(八条 持専寺住職)
↑仏法聴聞
↑仏法聴聞
↑会長の藤居英次様よりお礼の言葉
↑二十二日講煎餅とお茶
↑二十二日講煎餅とお茶
二十二日講の組織は湖北一市三郡を六つの地区に分けて構成されています。
1、旧長浜町
2、旧坂田郡西部(山西)
3、旧坂田郡東部(山東)
4、旧浅井郡東部(上組)
5、伊香郡一円
6、旧浅井郡西部(下組)
毎年十二月二十六日から翌一月八日まで、二幅の御影を双懸(そうけん)して「御越年(ごおつねん)法要」が営まれ、参詣された各組の代表者がここで供えられたお鏡(二十四枚)を分けて頂いて帰り、これに餅米をつき混ぜ「鏡割り法要」を厳修し、この御座にお参りした各集落の世話方は、頂いたお鏡に更に餅米をつき混ぜて必要な量のお鏡やお華来を作り、集落毎の「御巡化(ごじゅんけ)法要」をお勤めしてお供えを各戸に配られる仕組みになっています。
「御越年法要」はこの組織の一から六の順序でお勤まりになり、その後、一から三の組織で一幅の御影が、四から六の組織であと一幅の御影が御巡在になりますが、「鏡割りお講」は各組織のそれぞれ数カ所(概ね旧村落)で、営まれ、そのあと各集落への御巡在となる訳であります。
こうして、湖北二市二郡全ての御門徒が二十二日講の御縁にお遇いすることが出来るようになっています。今日、私たちはこの勝縁に遇い、乗如上人の御苦労、我がご先祖のご苦労と喜びの姿を偲びつつ、更に二百有余年連綿と伝えられてきた法悦の歴史を感じて、掌を合わす我が身の誇りと幸せを噛みしめたいものであります。
二十二日講参考資料より
講師の笠原俊海先生が、「信心とは、人間を本当に尊敬していくことです。」と話されました。考えてみると、現代ほど人間不信の時代はないように思います。それは結局、自分自身も信じられないということになります。何よりも、信心獲得(しんじんぎゃくとく)が待たれています…。
亡き人は仏である…そのことは「答」としてあるのではなく、私たちが証していくことだと思います。