テーマ 2014年上半期 浄願寺掲示板の言葉(92号)

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●92号では、2014年1月〜6月までの浄願寺掲示板の言葉と下に住職からひと言を掲載しました。

雪は解けるが 放射性物質は解けない
▼ひと言 今もなお現実に、それによって苦しめられている人々がいる。

正信偈の響き ありがたく なつかしく
▼ひと言 響きは歴史です。

頭を下げるのは自力 頭が下がるのは他力
▼ひと言 頭が下がるのは、そこに出会いがあり、それはよろこびの世界です。

私の誇りが世を汚し あなたの涙が世を清める
▼ひと言 誇りというものによって過ちをおかしてきたのが人間です。

悲しみ苦しむ人の声 言葉を発しない動物の声 声を発しない植物の声 そんなすべての声々に耳を澄ます
▼ひと言 3月11日、その声々に耳を澄ます。

「十方衆生」というは 十方のよろずの衆生なり すなわちわれらなり(親鸞聖人)
▼ひと言 これが親鸞聖人の立つところです。

我が尺度で悩むことなかれ
▼ひと言 我が尺度である限り、悩んでいるのではなく、困っているだけです。

智眼くらしとかなしむな(親鸞聖人)
▼ひと言 「智眼くらし」のことを正信偈の中では「無明」とも言われます。

真宗門徒はお内仏中心の生活です
▼ひと言 何を中心に生きていますか。

願は条件 本願は無条件
▼ひと言 願はこちらから、本願はむこうからです。

鳥瞰図から虫瞰図(ちゅうかんず)へ
▼ひと言 安田理深先生は「仏道というのは向上の道ではない、向下の道だ」と言われます。

煩悩の火が我が身を焼く
▼ひと言 仏はそんな私を「大悲倦きことなく、常に我を照したまう」です。

あとがき

▼去年、あるご門徒さんから「掲示板の言葉が難しい時があるので、少し文章を添えていただくとありがたいのですけど」という言葉を聞かせていただきました。2013年下半期 浄願寺掲示板の言葉(91号)では、スペースの都合で、出来なかったのですが、今号はひと言だけを添えさせていただきました。


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人間同士がお互い見つめ合う愛においては結局、差別構造に陥り、それは支配、被支配の関係でしかないと思います。

愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ。
『人間の土地』サン・テグジュペリ著
 
竹中智秀先生もよく、大切なのはお互いに同じ方向を持った「仏との三角関係」であると言われました。今、切に願われていることは、私自身が同じ方向を持ったお内仏中心に生きることであると思います。


添記
「ねえ ムーミン こっち向いて」でおなじみのアニメ『ムーミン』の最後よくあるシーンは、ムーミンとムーミンパパがお互い夕陽に向かって会話をします。
それがまたなんともいい感じなのです。
親子であってもやはり、一人の人間として、一人の同士として、同じ方向を向いて生きることの大切さを教えているようです。
夕陽…、まさに親鸞聖人の
「人ありて西に向かいて行かんと欲するに」の言葉です。
『教行信証』(真宗聖典219頁)

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