王舎城の悲劇」の物語

釈尊の晩年のときのことです。ガンジス河からほど遠くないところにマガダ国という大国がありました。王舎城はこの国の首都で、釈尊はここでたくさんの説法をされました。マガダ国の王であった頻婆娑羅は熱心な信者で、夫人の韋提希と共によくみ教えを聞いていました。ところで、この二人には久しく子どもがなく、頻婆娑羅王はほうぼうの神々に祈願していましたが、なかなか世継ぎを授かりません。あるとき占師を呼び寄せて尋ねてみると、「近くの山に住んでいる仙人が三年先に死んで、あなたの子となって、生まれてくるでしょう。」と予言しました。家来に調べさせてみると、それらしい仙人がいることがわかりました。歳の若くない王は、占師の予言した三年の月日が待てません。そこで王は使いを出し、仙人にわけを話して、すぐに死んでくれないかと頼みました。仙人は、「いくら王さまの仰せでも、それはできません。三年後に寿命がきたら死ぬことにしましょう。」と断りました。使いが城に帰ってこのことを頻婆娑羅王に伝えると、王は、「わたしはこの国の王だ。国中のすべてのものは王のものだ。その国王であるわたしが頭を下げて頼んでいるのに、その懇願を聞き入れぬとは何事だ。」と怒りました。そして、その使いに向かって、「よいか、もう一度行って頼んで来い。それでも断るようなら、かまわぬから殺してしまえ。そうすればわが子となって生まれてくるだろう。」と命じました。使いはふたたび仙人のところへ行って王の言葉を伝えました。しかし仙人はやはり聞き入れません。しかたなく使いの者は王の言いつけどおり仙人を殺してしまいます。仙人は、「王はひとに命じて私を殺させた。わたしも王の子として生まれ変わったら、この仕返しに、ひとに命じて王を殺させよう。」こう言い残して、こと切れたのです。まさにその日の夜、韋提希夫人は身ごもりました。この知らせに喜んだ王は、夜明けにさっそく占師を呼び、お腹の子の将来を占わせました。占師は、「男の子がお生まれになり、立派な世継ぎとなられます。ただし、成長の後には王に危害を加えることでしょう。」と言いました。待望の世継ぎが生まれるという予言は王にとって嬉しいものでした。しかし一方で、いつか自分が害されるかもしれないという不安で、心は穏やかではありません。はじめのうちは体面をおもんばかって「私は恐れたりしない。この子にすべてを継がせる。」と強がりを言っていた王も、とうとうその不安に耐えきれなくなりました。そこで夫人に、出産のときに子どもをこっそり高殿から産み落としてはどうか、そうすればわたしの不安の種も無くなるし、子殺しが表沙汰になることもなかろうと、もちかけました。夫人は迷い悩みましたが、王に反対すれば、愛情を失ってしまうと思い、いわれる通りにしてしまいました。しかし、生み落とされた子どもは、指を一本けがしただけでたすかったのです。一度は殺そうとしたものの、たすかった子に不憫さと愛しさを感じた王と夫人は、「敵を生じない者」という意味の「阿闍世」と名づけ、愛情をそそいで育てました。また王宮に仕える人々は「善見太子」と呼んでいました。しかし出生の秘密は、いつしかうわさとなって広まり、人々は王子を「折指太子」とあだなし、また、生まれない前の恨みを抱く者という意味で「未生怨」と呼ぶ者もいました。やがて、阿闍世は立派な太子に成長し、父頻婆娑羅王から、いくらかの領地を任されるようにもなりました。この阿闍世に提婆達多という野心家が近づいてきました。提婆は釈尊のいとこで、自分からすすんで出家し、釈尊の弟子になったのですが、釈尊から厳しく批判されたことなどに怨みを懐(いだ)き、釈尊を殺して、教団の指導者の地位を自らのもしたいと望んでいました。かれは阿闍世にいろいろな神通(超能力)をあらわして関心をひこうとしました。提婆からいろいろな奇跡を見せつけられた阿闍世は、かれを「提婆尊者」とよんで尊敬するようになりました。阿闍世の信頼を得た提婆は、「じつは、釈尊はもう老齢で教団を指導するにはふさわしくありません。だからわたしが釈尊にとってかわって教団を統理する仏陀となりましょう。あなたも歳をとった父王を倒して新しい王になるべきです。新しい仏陀と新しい王とが協力して世を治めていきましょう。なんと楽しいことではありませんか。」と言いました。これを聞いた阿闍世は、「そんなことを言ってはいけません。」と怒りました。そこで提婆は自らの野望を遂げるために、阿闍世の知らなかった出生の秘密を暴露してしまったのです。「あなたの父は仙人殺しの無道者です。あなたさえも一度は殺してしまおうとしたのです。あなたの指が一本折れていることが、何よりの証拠です。」阿闍世は、これを雨行という大臣に確かめました。雨行もやはり同じことを言うので、遂に提婆の言葉を信じてしまいました。そして、とうとう提婆のはかりごとにのって、父王を倒す決心をしたのです。このようにして、王舎城の悲劇が起こります。阿闍世は家臣に命じて頻婆娑羅王を堅固な牢獄に閉じこめ、計画どおり王位を奪い取りました。そうして、牢獄に誰も近づけないように見張りをたて、食物も水も与えず、父の死をまちました。国大(くにのだい)夫人の韋提希は、閉じ込められた頻婆娑羅王を助けようとして密かに食べ物をもって牢獄に通いました。このことを知った阿闍世は母韋提希をも殺そうとします。耆婆大臣・月光大臣が阿闍世を諫(いさ)めて、母を殺すことを思いとどまらせましたが、母に裏切られた阿闍世の怒りはおさまらず、彼は韋提希をも幽閉してしまったのです。韋提希は憂いのあまり、身も心もやつれはててしまいました。もはやたのみとするのは釈尊しかないと、韋提希ははるか耆闍崛山にむかって救いを求めました。耆闍崛山で法を説いておられた釈尊は、夫人のために急いで王宮においでになりました。釈尊は、韋提希の求めを縁として、すべての人間の救われる道をお説きになりました。一方の頻婆娑羅は、ふだんから熱心に釈尊の教えを聞いていましたし、幽閉の後も釈尊から遣わされた仏弟子目連・富楼那によって、八戒を授かり、聞法を続けていたので、心は安定して死をおそれず、穏やかに最期をむかえました。やがて阿闍世王は母韋提希を幽閉から解放します。そして母から、父王がどんなに自分を愛していたかを聞きます。そして、父の死を知ったとき、はじめてとりかえしのつかない罪をおかしたことに気づきました。自分のおかした罪の重さが地獄へおちる恐怖となって、苦悩した阿闍世はからだからうみを出し、高熱におかされました。母韋提希の献身的な看病にもかかわらず病は悪化する一方です。家臣たちは入れ替わりたち替わり外道の教えを聞かせて、阿闍世王をなぐさめようとしましたが、まったく効果はありませんでした。最後に、名医でもあった耆婆大臣が釈尊に会うようにすすめましたが、阿闍世は自分の罪の重さにためらって、すぐに釈尊のもとに行こうとはしません。このとき、死んだ父頻婆娑羅の声がどこからともなく聞こえてきました。「耆婆大臣の言うとおりにしなさい」と。父を殺してしまった阿闍世でしたが、その父頻婆娑羅の言葉に従って、釈尊の慈悲ぶかい教えにふれ、遂に救われました。宗祖親鸞聖人は、主著『教行信証』に『涅槃経』の阿闍世の救いの事実を引用して、自己の救済の問題として大切にうけとめておられます。

*「王舎城の悲劇」は、さまざまな経典に多様に説かれていますが、ここでは親鸞聖人が大切にされた善導大師の『観経疏』と『涅槃経』の記述をもとに、この「王舎城の悲劇」の物語を作成しました。特に韋提希幽閉に至るまでの経過は主に『観経疏』に依り、その後の阿闍世の救いにまつわる経緯は『涅槃経』に依っています。

『現代の聖典』東本願寺発行 78頁より

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