■第5席
私達の意識の一番深いところに、本当の願いがある。それが深くて重いほど、大きな声にはならない。前席では、「生まれながらの願い」「アーラヤ識」「私自身」「自己」等の言葉を紹介しましたが、それ以外には、曽我量深先生が「法蔵魂」と表現されています。それについて、いよいよ今席が最後ですけど、いっしょに考えさせて頂きたいと思います。
阿弥陀仏に南無する、これが今回のテーマであります。言うまでもなく、こちらのお寺さんも阿弥陀仏が中央に安置されています。皆さんのお家のお内仏(仏壇)にも、中央に阿弥陀仏ですよね。浄願寺では月に2回、日曜学校があるのですが、4月の花まつりの時、いつも子どもに聞くことがあるんです。それは、
「仏さんって、どんな格好してる?」
という質問です。そしたら子どもって、じーっと見ますね、ある子なんかは、
「ご院さん、あっちまでいってええか」
って、お内陣に入って見つめていました。
「手はどうしてる?」
と念を押すと、必ず答えてくれます。
「OKしてる」
って。以前、一人の子が、
「なあ、仏さんって、僕にOKって言うてくれてはるんやんなあ」
私にこんなふうに言ってくれました。子どもというのは、あれこれと解釈するのではなく、素直に仏のこころを感じているんだなあと思い、びっくりしました。それ以来、毎年、花まつりには質問するようにしています。
OKと言うと横文字で、何か軽く聞こえがちなんですけど、これ、間違ってないと、いや、むしろ実に的確でないかと思うんです。例えば、こんなお釋迦様の言葉があります。
あなたはあなたに成ればいい、あなたはあなたで在ればいい『法句経』
どんな時もくらべることなく、大切なことは、あなたはあなたであることだと言われます、それが
天上天下唯我独尊
の言葉にもつながってきます。天の上にも、天の下にも、唯、我、独りとして尊い。あなたがあなたであることが尊いと。どうでしょう
「なあ、仏さんって、僕にOKって言うてくれてはるんやんなあ」
という言葉と重なります。
また、親鸞聖人のお言葉でも確かめさせて頂きます。『和讃』に、ずばり、阿弥陀仏のこころを讃(うた)われています。
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなわし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる(真宗聖典486頁)
阿弥陀仏のこころというのは、摂取してすてざれば、ですから、おさめとってすてない、絶対捨てない。これが阿弥陀仏のこころなんですね。こっちの人はよく修行したから救う、お前はちょっとまだあかんと、そんなこと言いません阿弥陀仏は、絶対捨てないのです。お釋迦さんは
あなたはあなたに成ればいい、あなたはあなたで在ればいい
親鸞さんは
摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる
それと、その子は、自分の感受性で、OKって。全部重なってまいりますよね。だから、私としてはこのOKって言葉をですね、ひとつキーワードにしたいと思っているのです。
OKというのは無条件です、昨日のしんちゃんの(第2席)
「鳴かぬなら それでもいいよホトトギス」
です。ワニくんの(第2席)
「足の大きさはそのまんま」
の世界です。それに対して、私達の「南無・思い通り」というのは、ああなって欲しい、こうなってくれという条件です。OKでなく、NGばかりですよね…。
もう少し、OK、無条件である阿弥陀仏のこころをたずねていきたいと思います。善導大師、親鸞聖人は、やはり、阿弥陀仏を父や母と重ねられています、親ですね。だから地方によっては、仏さんのことを親様と呼ぶ所もありますよね。親鸞聖人の『和讃』に、
子の母をおもうがごとくにて
衆生仏を憶すれば
現前当来とおからず
如来を拝見うたがわず(真宗聖典489頁)
とあります。子がお母さんをおもうように、仏さんのことを思うならば、目の前に現れ、いつでもお会いすることが出来る。それは疑いのないことである。お母さんと重ねて和讃されています。親様という言葉も、このような和讃が元にあると思います。
お母さんということでですね、ある老僧がこんな文章を書いておられます。
若い頃、修行に出るため郷里の停車場に立った時、母親が見送りに来てくれた。いよいよ汽車が動き始めようとした時、立派なお坊さんになって帰ってきますから、お母さんも身体に気をつけて元気で待っていて下さいと言った。立派なお坊さんになった時には、私のところに帰ってこなくてもよろしい。それよりも修行が出来なくなった時や病気でにっちもさっちもいかなくなった時にはいつでも帰っておいで…と言ってくれた。この母親の一言がどんなに辛いことに直面した時でも、どんなに悲しいことがあった時でも、いつも私を支え続けてくれた。
このお母さんは立派なお坊さんになれ、とは言っておられません。それよりどんな時でも、自分を見失わないでほしい、大事にすることはあなたがあなたであることだと、条件なんかつけておられません。
「いつでも帰っておいで…」
です。そしてその言葉が今日まで、この老僧を歩ませているんですよね。不思議なことに条件ばかりを主張する私であるのに、なぜかこのような無条件の世界に出遇うと感動する私がいます。私の心の中の大部分は条件が支配しているようだが、実はその底に無条件に共鳴するものが確かにあるようです。繰り返しますが、曽我量深先生は「法蔵魂」と、前席では「生まれながらの願い」「アーラヤ識」「私自身」「自己」という言葉で教えられています。
お母さんと言うことで、もうひとつ紹介させていただきます。それは乙武洋匡さんの『五体不満足』という書物です。沢山の方が読まれたと思います。乙武さんは、『五体不満足』と題にもなっていますように、両手と両足がないという体で誕生されました。早稲田大学を出て、今、色々とご活躍中で、とても明るいキャラクターの持ち主で、テレビにもしばしば出ておられます。その『五体不満足』のまえがきに、生まれた時のことをこんなふうに書いておられます。
昭和51年4月6日。満開の桜に、やわらかな陽射し。やさしい1日だった。
「オギャー、オギャー」
火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。元気な男の子だ。
平凡な夫婦の、平凡な出産。ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。
先天性四肢切断。分かりやすく言えば、「あなたには生まれつき手と足がありません」という障害だ。出産時のトラブルでも、その当時、騒がれていたサリドマイド薬害の影響でもない。原因は、いまだに分かっていない。とにかくボクは、超個性的な姿で誕生し、周囲を驚かせた。生まれてきただけでビックリされるなんて、桃太郎とボクくらいのものだろう。
本来ならば、出産後に感動の「母子ご対面」となる。しかし、出産直後の母親に知らせるのはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸(皮膚が異常に黄色くなってしまう症状)が激しい」という理由で、母とボクはーヵ月間も会うことが許されなかった。それにしても、母はなんとのんびりした人なのだろう。黄疸が激しいという理由だけで、自分の子どもにーヵ月間も会えないなどという話があるだろうか。しかも、まだ見ぬ我が子だ。「あら、そうなの」となんの疑いも持たずにいた母は、ある意味「超人」だと思う。
対面の日が来た。病院に向かう途中、息子に会えなかったのは黄疸が理由ではないことが告げられた。やはり、母は動揺を隠せない。結局、手も足もないということまでは話すことができず、身体に少し異常があるということだけに留められた。あとは、実際に子どもに会って、事態を把握してもらおうというわけだ。
病院でも、それなりの準備がされていた。血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、空きベッドがひとつ用意されていた。父や病院、そして母の緊張は高まっていく。
「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。「かわいい」、母の口をついて出てきた言葉は、そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。気を失い、倒れ込んでしまうかもしれない。そういった心配は、すべて杞憂に終わった。自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、ーヵ月間も会えなかったのだ。手足がないことへの驚きよりも、やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。
この「母子初対面」の成功は、傍から見る以上に意味のあるものだったと思う。人と出会った時の第一印象というのは、なかなか消えないものだ。後になっても、その印象を引きずってしまうことも少なくない。まして、それが「親と子の」初対面となれば、その重要性は計り知れないだろう。
母が、ボクに対して初めて抱いた感情は、「驚き」「悲しみ」ではなく、「喜び」だった。
生後ーヵ月、ようやくボクは「誕生」した。
ここに書いてあるように、産後間もないお母さんに会わせるのはショックが大きすぎると、周りの方はすごく配慮されるのですが、対面の時のお母さんの第一声の言葉は
「かわいい」
でした。びくともしません。ここでも、また私は、このような無条件という世界に触れると、何か忘れていたものを思い出します。日ごろは条件ばっかり追いかけているのですが、無条件の世界に出遇う時、こころの深いところで、共鳴、共感するのです…。
それと、この文章を何回も読むほどに、このごろ、感じていることがあります。それは、この「かわいい」という言葉を発したのは、このお母さんが特別素晴らしい人だったという次元の話ではないと思うのです。子どもは親を選べないんですよね。気がついたら「私がママよ」(笑)です。実は、このお母さんの「かわいい」に先立って、乙武さんの方が、まず、無条件にお母さんを受け入れているということがあるのではないでしょうか。そのことをして、このお母さんに「かわいい」と言わせるように思うのです。もっと言えば、乙武さん自身が我が身を全身で受け入れ、生きようとする姿が、お母さんから「かわいい」という言葉を引き出したのだと思います。まさに、『佛説無量寿経』の中の「佛佛想念」(真宗聖典7頁)です。そして、乙武さんは、最後に
生後ーヵ月、ようやくボクは「誕生」した。
と表現されています。これは、昭和51年4月6日という日付より、お母さんとの対面の日に「誕生」を見ておられるのですよね。
次に、おさめとってすてない、絶対捨てないという仏のこころを源信僧都にたずねてみたいと思います。源信僧都は、奈良の当麻という所に生まれ、幼い時から非常に優れた方であったようです。比叡山にのぼられ、十五才で八人の講師の中に選ばれました。その中でも、一番良い『法華経』の講義をされたということで、当時の天皇から、「紫の衣」を与えられました。源信さんはお母さんもきっと喜んでくれるだろうと思い、その品を贈られました。すると、そのお母さんが、ひどく怒られ、
「そんな名誉を喜ぶ偉いお坊さんになるのではなく、本当のお坊さんになってください。」
と言って、それを送り返してきたそうです。その時に詠まれた詩が、
「世の人を渡す橋とぞおもいしに 世わたる僧となるぞ悲しき」
苦しんでおられる人々を渡す橋にならず、自分だけが渡って、名誉に酔うて喜んでいるその姿が悲しい。こういう歌です。
また、源信僧都は著作である『往生要集』の中に、こんな譬えを出しておられます。象がさんざん苦労して檻から抜け出るんですけど、最後に尻尾だけが檻にからまってしまって、結局、自由になれなかった…と。そんなバカな、と言いたくなるのですが、これは、仏道を歩む者が度々陥る姿であると説かれているのです。象の大きな体にくらべて、尻尾ぐらいが何故、からまるのかと思うのですが、この尻尾とは、名利心を表し、意識にも及ばないところで純粋さを失っている、成就しないということを説くわけです。ただ、これは、仏道を歩む者のことだけではなく、人間そのものを言い当てているように思います。尻尾とは、名利というより自利であり、人間には絶対、真実はないということです。
しかし、どうでしょう、これは決して、人間は情けないと悲観する話ではないのです。意識にも及ばない深いところで、絶えず私に「それでいいのか」と厳しく呼びかけてくるはたらきがあるということなのでしょう。ここに源信僧都は、絶対捨てないという仏のこころを見ておられるのだと思います。前席で(第4席)言えば「微」ということです。名利に沈む自分の中に、それこそ、当時のお母さんの批判の声と重ねられながら、生涯、真実からの声を聞き続けていかれたのではないでしょうか。
このように、実は、誰の中にも意識の底に「それでいいのか」という声を持っています。決して妥協させない、卒業させないものが絶えずはたらいています。それが、私を歩ませるのです。まさに、
「摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」
です。阿弥陀仏は、OKと印を結んでおられますが、これは、右手が、「施無畏の印」で、左手が「与願の印」です。施無畏は厳しさを表します。与願は優しさを表します。それぞれ智慧と慈悲です。OKというのは、優しさだけでなく、厳しさとひとつということです。両方ということです。優しさに包まれているだけなら、それは酔っぱらっているだけです。阿弥陀仏がOKと呼びかけるのは、私だけじゃなく、すべての人に対してです。十方衆生です。少なくとも、阿弥陀仏からOKと呼びかけられているまわりの人達に、どこまで、OKって言えてますか?NGばかりですよね。皆さんはどうですか。そのことが厳しく問われています。OKというのは、言うまでもなく、よしよしと、ただ頭を撫ぜることではありません。また、条件をクリアーしてのOKでもありません。存在そのものへのOKです。先ほどの源信僧都のお母さんの如く、親が子を叱るときは、根っ子にOKがあるからですよね。今回、
「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(真宗聖典627)
という言葉から、「阿弥陀仏に南無する」というテーマで考えさせて頂きましけど、どうでしょう、集約すれば、私が阿弥陀仏を念じるよりも、摂取してすてざればと、絶えず私を念じ続けている阿弥陀仏のはたらきに、たすけられまいらすべしと、南無したてまつると、親鸞聖人は言われているのだと思います。
最後に「南無」について、これだけお話させて頂きます。親鸞聖人の言葉に、
「南無」の言は帰命なり。
「帰命」は本願招喚の勅命なり。(真宗聖典177頁)
とあります。勅命というのは、阿弥陀仏の命令です。命令って…、考えてみるとおかしいですよね。命令というのは、本当に拒みたかったら、拒めます。「朕の命令だ」と言われても、命を投げ出せば拒めます。たとえそれが阿弥陀仏であってもです。しかし絶対に拒めない命令があるというのです。そのことを宮城 豈頁(みやぎしずか)先生はこのように教えてくださいます。それは、
これが私の願いであったということ。
阿弥陀仏に南無せよというのは、誰に言われるまでもなく、私の願いであるから拒むことが出来ないということです。条件じゃなく、無条件の世界である「浄土」を求めているのが、実は私の本当の願いであったと知らされるのでしょう。前席の(第4席)「ティラノザウルス」と「プテラノドン」と「トリケラトプス」と「イグアノドン」と「ブロントザウルス」と「ステゴザウルス」と…の世界です。この人生、このことひとつ求めて、誰もが生きているのではないでしょうか。そこに人間が見えます…。
これで終わらせて頂きます。この度は、尊いご縁を賜り、ありがとうございました。