1995(平成07)年 山門掲示板の言葉

1月 自分の中にある強い所と弱い所 どちらも自分
2月 私の人生を無駄にすることは 
私が食べてきた無数のいのちを無駄にすること
私の人生にはそれだけの責任がある
3月 いえないものの声が聞こえる そんな耳を私は持ちたい
4月 私たちの倖せ
それは 誰かを抜きにした喜びになってはいないか
5月 きびしい修業でさとりをひらく
それは 出来ない者を抜きにした救いになってはいないか
6月 自分はこんなもんやと思われたくないのに
他人はあんなもんやと決めつけている
7月 人と人とが憂いを共にする これを「優しさ」と書く
8月 人の長となって喜ぶ心が差別をつくる
9月 成功しか求めない私の心が 私をこんなにも窮屈にしていた
10月(前) 親が子を思うのは 最高の善だと そう親が思った時
あるいは そう思い込んでいる時
親心は最大の暴力になる  (灰谷健次郎)
10月(後) 黒い土に根を張り どぶ水を吸って 
なぜきれいに咲けるのだろう
私は 大ぜいの人の愛の中にいて 
なぜみにくいことばかり考えるのだろう (星野富弘)
11月(前) 人間は他の動物と違って
年をとれぱとるほど美しくなれる (金子大栄)
11月(後) 社会の問題 三面記事 私の心の中を写し出す
12月(前) 煩悩にまなこさえられて 
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて 
つねにわが身をてらすなり (親鸞聖人)
12月(後) 人間はただ幸福を求めているのではなく 
その底に真実を求めている

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