2025年12月10日 ▼木之本地域人権のつどいに参加しました。

日時 12月10日(水)19時
場所 木之本スティックホール
テーマ 人権とまちづくり
講師 中川幾郎さん(帝塚山大学名誉教授)

▼開会行事として一番最初に、次の「長浜市人権尊重都市宣言」が朗読されました。 

 わたくしたち長浜市民は、すべての人々の基本的人権が尊重され、かけがえのない人生をよりしあわせにすごせる社会の実現を願っています。
 わたくしたちは、日本国憲法および世界人権宣言の基本精神にもとづき、市民相互の愛と信頼の確立に努め、あらゆる差別のない平和で明るいまちを築くため、ここに長浜市を「人権尊重都市」とすることを宣言します。平成18年9月25日

▼また講師の中川幾郎さんは差別社会の現実から多面に渡る問題提起をされました。以前私が心に響いた中川幾郎さんのエッセイ(2007年3月【第41回】少数者の視点を生かした同和地区の“まちづくり”に学ぶ)をここに掲載させて頂きます。

人権条約は少数者の権利を守るのが大前提であり、多数決の原理には従わないということを意味します。実際、世論調査を盾にする日本政府に対し、国連の人権小委員会は「人権行政は世論調査の結果によって左右されるべきものであってはならない」と勧告を出しています。
「多数決が民主主義だ」と考えている人は多いようですが、多数決は「時間がない」「限られた資源しかない」という時の最終手段であり、常に発動するものではありません。また、多数決によって少数者の権利が侵害されないようにする責任が多数者側にあることも認識すべきです。そして、その責任を代表するのが行政機関であり政治機関なのです。“まちづくり”をするうえでも、多数者による少数者の権利尊重は重要なポイントです。少数者を「異物」のように見なしたり無視したりするのではなく、摩擦を起こしながら、適度な距離を保ちながら、共に生きていく。お互いの存在を認め合うことによって地域の安全が確保されます。何より成熟した社会や地域であるための原点として、「少数者との共生」を市民一人ひとりの心に留めておいてほしいと思います。

▼いつも言いますが私はどうしても「人権」という言葉に多少の違和感を感じています。繰り返しになりますが、最後にこのことだけ書かせて頂きます。

勿論「人権」は誰もが守らなければならない大切なことです。ただ「人権」という言葉を使うのであれば次のことを吟味しなければならないと思います。まず思い出されるのは、1789年8月26日、フランスの絶対王政の現実から立ち上がった人権宣言です。また、日本において1922年3月3日、差別の現実から立ち上がった水平社宣言は日本初の人権宣言です。中川幾郎さんが教えてくださるように、これらの「人権」という言葉、それはひとえに「人権」を奪われてきた側の少数者の切なる叫び、宣言なのです。吟味すべきことは「人権」という言葉をどこに立って発しているかということです。得てして私たちは足を踏まれていない側の多数者に立って「人権」という言葉を軽く使っていないでしょうか。
▼願わくは私も「少数者との共生」を心に留めてそのことを確かめながら、「長浜市人権尊重都市宣言」を大切にしたいと思っています。

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