▼こんな文章に出会いました。
「ピアニッシモはフォルテよりも強いんです」と語った声楽家は、キョトンとした私を見て、さらに言葉を続けた。「ごく弱く」を指示する演奏記号のピアニッシモが、「強く」を意味するフォルテよりなぜ強いのか。「例えば、本当に苦しいときや、強い愛を伝えるときは、大声で『苦しい!』『愛してる!』と言うより、絞り出すような表現になるでしょう。心の底から込み上げて来るような思いは、強くてもそれが深くて重いほど、大きな声にはならないですから」。
東本願寺「真宗会館」首都圏広報紙 『サンガ』七十一号より
▼考えてみると、「私が願っていること」も、この話と同じことが言えるのかもしれません。
▼フォルテ…、「ああなれば」「こうなれば」と願いごとが大きな声でフォルテするほどに、私はまわりに対して、日々、高圧的になってきたように思います。表紙のマンガの前の三コマは、時の将軍、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康のことというより、いずれかの形で「こうであれ」と相手に自分の言うことを聞かそうとする私の姿のようにも思うのです。
▼決して、仏教はそんな願いごとに応える教え(現代、多くの宗教はこればかりではないでしょうか)ではなく、私が本当に願っていること(本願)を明らかにする教えです。釈尊は、ずばり、このように言われます。
「あなたはあなたに成ればいい、あなたはあなたで在ればいい」
『法句経』
▼ピアニッシモ…、日々、前の三コマの如く、相手を違う者に成れと、私自身をも違う者で在ろうと苦悩する私が、なぜか四コマ目に、不思議にホッとするのは、私の心の奥底の、微かな声でピアニッシモする部分に共鳴しているからなのでしょうか…。
▼まもなく、親鸞聖人に出会う「報恩講(お取越し)」の季節です。本願に帰された親鸞聖人に今一度、出会い直していきたいと思います。
▼そういえば、数十年前、「激しく、たかぶる、夢を眠らせるな…♪」と歌う、『フォルテシモ』という流行歌がありました。「弱く」ではなく「強く」在れという傾向が、ますます加速していく今日、『ピアニッシモ』を語る声楽家の言葉は、実に大切なことを教えているように思います。
▼表紙のマンガを書かれた、のむらしんぼさんは、先日、御坊さん人生講座の講師として長浜別院に来られました。最後にひとつ、四コマ目に思うことは、私が相手に「それでもいいよ」と言う限りは、それって、やっぱり…、主従関係でしかないのかも知れません。「それでもいいよ」は、私が人に呼びかける言葉ではなく、仏から呼びかけられている言葉なのだと思います。