テーマ 帰命尽十方無碍光如来(31座)

1999(平成11)年10月1日


表紙

これは坂口尚著の『あっかんべェ一休』という漫画の1ページです。とんちの一休さんに、2人の坊さんは、たじたじです。こんな私も「ほんまや」と手を叩いてしまいました。

住職記

弥陀成佛のこのかたは
 いまに十劫をへたまえり
 法身の光輪きわもなく
 世の盲冥をてらすなり
『浄土和讃』親鸞聖人(真宗聖典479頁)

▼阿弥陀佛の光は私たちの世の闇をてらします。その光はすべての世界(尽十方)に、すべての存在(無碍)に届いていると説かれています。このような教えを私はずっと、阿弥陀佛の眉間から光が放たれ、その光が東西南北あらゆる場所をてらしている場面を想像していましたが、もしも、こんな一場面のことなら、この教えに誰もうなずいたり、ましては感動したりしないと思います。立派な佛さまがどこかに居て、それはまあ、凄い光が出ているそうですよ…という程度の話です。ところが、お釋迦様が佛教を説かれてから今日まで、実に数えきれないほどたくさんの人たちがこの教えに生きてこられました。その理由はどこにあったんでしょうか。そのことを阿弥陀佛の光を

「帰命尽十方無碍光如来」

と深く仰がれた親鸞聖人に今一度、尋ねてみたいと思います。

▼こんな文章に出会いました。

親鸞聖人は「帰命尽十方無碍光如来」をもって真宗のご本尊と尊ばれていたと記されています。なぜ、親鸞聖人がこの名号を特に尊ばれていたのか。阿弥陀如来の徳を讃嘆する言葉なら、他にもいろいろと名号がございます。しかし、その中で特に「尽十方無碍光如来」の名号を尊ぱれた。そこに、まず「尽十方」とございます。「尽十方」は、いうまでもなく、あらゆるところを尽くしているということでございます。
(中略)
では「尽十方」ということを親鸞聖人はどこでうなづかれたかといいますと、これは、実は、仏の心に背き、仏の心から一番遠くにあるものとして親鸞聖人は自分自身を深く悲嘆されたのでしょう。同時に、その私が今こうして本願に会い、阿弥陀如来の光明に出会っている。いちばん遠い私が照らされている。いちばん背いている私が、しかも照らされていた、というところに、「尽十方」ということがうなずかれた。この私が照らされてある限り、いかなる人のうえにもそのはたらきは及んでいる。それはまちがいない事実です。そこに「尽十方無碍光如来」は深い悲嘆と、にもかかわらずこの私にまでという大きな讃嘆の心が一つになっているのが「尽十方無碍光如来」の名号です。

『無明の闇』宮城 豈頁(みやぎしずか)著より

▼親鸞聖人は、自分自身を抜きにどこかの遠い話として、教えを聞いているのではなく、そこに、自分自身を見ています。

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。」
『歎異抄』(真宗聖典640頁)

と、佛から最も遠いところで、佛に背いている親鸞一人への呼びかけとして、阿弥陀佛の「十方衆生よ」という声をいただかれています。

▼この親鸞聖人の心を受けとめてみると、寺にいる私の日常生活のことがこんなふうに浮かんできます。

真宗の寺に生まれ、ここに住む私は、少しは佛の近くに居ると思っていました。その上、住職になったころからは知らず知らずのうちに

「どうしたら門徒さんに佛法を伝えることが出来るだろうか…」

「若い人が全然、佛法を聞いてくれない…」

などと、自分は常に説く側にまわっていました。佛に近いところにいるのだと錯角する私は、一度でも、私の上に「十方衆生よ」という呼びかけを聞いたことがあっただろうか。そのことは、表紙の一休さんも僧侶を批判されます。

「人にすすめつつ、お前は一体どうなんだ…」

▼佛から常に最も遠く背く者の自覚に立って、まず、この問いかけを受け止めるところから、歩んでいきたいと思います。

編集後記

▲今号を機会に、これからも寺にいる自分の感覚に対して、ずっと問いを持っていたいと感じています。どうか、ご指摘くださいませ。

▲もうひとつ、一休さんの言葉を紹介します。

生まれ子が 次第次第に知恵つきて 佛に遠くなるぞ悲しき

これは子どもの変化を詠んだというより、知恵がつき、いろんなものが見えて、聞こえてきたけれど、すっかり、一番大切な声に気づかなくなった(5頁 蓮ちゃんといっしょに 参照)大人たちこそ、実は一番、佛から遠い存在なんだと教えているように思います。私たち人間が考えている「成長」「進歩」「向上」「発達」なんてものは多分、佛から遠く離れていく道でしかないように思います。

5頁



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