■自力というは、わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむひとなり。
『一念多念文意』親鸞聖人(聖典541頁)
■「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。
(中略)
「信」は、うたがいなきこころなり。すなわちこれ真実の信心なり。
(中略)
本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」という。
『唯信鈔文意』親鸞聖人(聖典547頁)
■念仏する身が辛抱するにあらず 相手の辛抱が見ゆるのである
大河内了悟
■かつて一燈園主の西田天香師が、山陰地方に招かれ
「堪忍」
の大切さを語ったという。不合理きわまりない現実の中で何事にも耐える精神力を持つことは人として大切なことである。ところが、講演会に遅れた老人が、せめて肩でもと、宿で天香師の肩を揉みながら講演の内容を尋ねたという。すると師は
「腹を立てずに何事でも堪忍して暮らすのが大切と話した」
と応えた。すると老人は
「到底わしには無理なことじゃ。わしは人さんに堪忍してもらってばっかりおりますだいな」
と返事したという。師は驚いて
「私が肩を揉んでもらうような爺さんではない」
と話したという。念仏を喜んだ妙好人の源左同行の逸話である。
『南御堂』難波別院発行より
■先日、御坊さん人生講座で祖父江文宏先生がこのように話されました。
生まれたての赤ちゃんをそのまま放置すると、約8時間で死んでしまいます。ということは、人は自分では何も出来ない、他人からしてもらう…、そういう者として生まれて来たんです。その赤ちゃんは何を信じて生まれてくるのかというと、それは自分のことを受け入れ、守り、庇護し、育ててくれる人がいる、ということをです。実はそれが先に生まれた者と、後に生まれた者との約束。生命と生命をつなぐ約束です。
■私たちは、実にそのことを忘れて生きています。合わせて、この詩を紹介します。
食事の時
自分のおちゃわんに
自分でごはんを盛ろうとしたら
「だめ−っ」ていわれた。
あら、どうして?って思った。
自分のことは自分ですると思ってたのに
山岸会のおばさんから
「自分のことは他人にしてもらうんですよ。
人は誰でも
生まれたときだって、死んだときだって
他人からしてもらうんでしょ。
だから
自分のことは自分でしないの。
そのかわり他人のことをしてあげるの」
そういわれてしまった。
そういえばそうだと思った。(山崎まどか)
■「自分のことは自分でしなさい」と説く私たちの発想ではなく、自分でごはんを盛らずに、逆にごはんを盛ってもらうことによって、他人からしてもらうということに目を向けられています。同じく、山崎まどかさんの詩を紹介します。
人間は、生きるために
にわとりも殺さなくちゃいけないし
豚も殺さなくちゃならない。
生きてるっていうことは
ずいぶん迷わくをかけることなんだ。
自分で自分のこと全部できたら
人は一人ぽっちになってしまう。
他人に迷わくをかけるということは
その人とつながりをもつことなんだ。
他人の世話をすることは
その人に愛をもつことなんだ。
生きるっていうことは
たくさんの命と
つながりをもつことなんだ
お乳をやった私
あたたかいからだを押しつけてきた
子牛を私は思った。
■ここでも、「他人に迷惑をかけるな」と説く私たちの発想ではなく、子牛と触れ合う中で、他人に迷惑をかけているということに目を向けられています。
■2人の言葉から教えられることは、
自分では何も出来ない、他人からしてもらうことが、生きることの出発点であったということ。
生きてるということは、ずいぶん迷惑をかけているということ。
にわとりや豚をはじめ、他の無数の生命を毎日毎日、殺し続けているということ。
生命と生命は互いにつながり合い、支え合っているということ。
…このような、人が生きるということの様々な事実です。
■しかし、悲しいかな、私たちは、
「自分のことは自分でしなさい」や「他人に迷惑をかけるな」から、表紙の「辛抱」や「堪忍」にいたるまで、
それを善と信じて、がんばるほどに、人が生きるというその事実を見失っていきます。
わがみをたのみ、わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざまの善根をたのむ、自力の方向にあるのは、
「人は一人ぽっちになってしまう」です…。
■人として、やはり、「自力」と「善」に迷う者であるという自覚に立って、親鸞聖人の教えに生きたいと思うばかりです。
▼山崎まどかさんの詩の中で「山岸会」とあります。この名に反応する方がいるかもしれませんが、いつも大切なことは「誰」が言ったかということではなくて、「何」を言ったかというとなんだと思います。
▼「他人からしてもらう」赤ちゃんである5ヵ月の息子を見つめながら、こんな言葉を思い出しました。
赤ん坊が無邪気に微笑みかけてくるのに出会ったとき、こわばっていた心と体が解放され、何かしらホッとした感じに満たされるようなことがある。きっと、とても大切なことを教わっている瞬間なのだ(生實修)
▼今号から『蓮ちゃんといっしょに』を連載させていただきます。どーか、ご愛読下いませ。尚、作者の、ひのすなおさんは、同朋会館、青少年部等で共に親鸞の教えに学ぶ友人です。(小松教区西照寺 ちなみ女性です)