テーマ 必要神話?(102座)

2011(平成23)年8月1日


表紙

■水力と火力で十分まかなえる
 日本では、全発電量の約3割を原子力発電が担っているとされ、原子力が不可欠のように考えられてきました。しかし、水力、火力、原子力、共に言えることですが、発電所をフル稼働した場合の発電量と、実際の発電量には、かなりの開きがあります。というのも、発電所設備自体が過剰とも言える状態で、年間の発電設備利用率は、水力19%、火力50%(2008年度)であり、まだまだ発電能力には余力のある状態となっているからです。つまり、原子力発電をやめたとしても、水力、火力発電で十分補っていくことが可能なのです。私たちが一般的に聞かされている「全発電量約3割を原子力発電が担っている」という情報は、実際の発電量の割合のことを言っているので、そのことが「原発は廃止出来ない」等の誤解を生む原因になっているようです。

■真夏の昼間にも水力と火力でまかなえる
 電気というのは貯めておくことが難しいので、一番需要が高い時に合わせて、発電設備を備える必要があります。この観点からも、原子力は不可欠であるとされてきました。しかし、過去50年間の最大需要電力量の推移を見てみると、1990年代の一時期の例外を除いて、水力と火力でまかなうことができているということが分かります。(グラフ参照) しかも、この一番電力の需要が高い時間帯というのは、真夏の数日の午後のたった数時間という極めて特殊な時間帯のことなのです。一年の内のたったこれだけの時間に備えるために、危険な原子力発電設備を抱えるというのはあまりにリスクが大きいと言えます。大口需要家に対し生産調整を依頼するなどの方法で節電していくほうが遥かに効率的です。

住職記

■原発に対する賛否両論の中で、共通して言えること、それは数多くの人が原発が無ければ電力が不足し、私たちの生活が成り立たなくなるという「必要神話」を信じ切っているということではないでしょうか。
■そのことから、表紙参照とあわせて次の文章を見ていただきたいと思います。
 
 ほとんどの日本人は「原発を廃止すれば電力不足になる」と思い込んでいます。そして今後も「必要悪として受け入れざるを得ない」とも考えています。それどころか、原子力利用に反対 すると、それなら電気をつかうな」と怒られたりしま す。これらは、根本的な誤 解から生じています。
 いちばんの代替案は「まず 原発を止めること」です。「代替案がなければ止められない」というのは、沈没し かけた船に乗っているのに「代替案がなければ逃げら れない」と言っているようなものです。命よりも電気の方が大事なんですね。
 原発は、電気が足りようが足りなかろうが、即刻全部止めるべきものです。
 そして、全部の原発を止めてみた時、「実は原発がなくても電力は足りていた」ということに気づくでしょう。
『原発のウソ』小出裕章著

■そもそも国策である原発の問題もまた、テレビやマスコミで、正論の如く語 る政治家や学者よって、いつのまにか「ウソ」が常識になってしまうことが往々にしてあります。実はその背景には、このところ発覚してきたように、原発マネーに群がった政治家、学者、マスコミ。あるいはそれら三者を買収する電力会社の事実が歴然とあります。そして見事に「必要神話」が構築されていくわけです。
■すでにイタリアの国民投票で「原発拒絶」が是認されました。また、ドイツやスイスも「脱原発」が決定しました。やはり今、日本においてもまず、この「必要神話」を考え直すことから始めるべきだと思います。
■次のような牧師さんの言葉があります。
 
時代の潮流にただ漫然と乗ることではなく、流れに逆らわなければならない時に、流れに抗して生きること。宗教とは本来、そのことを可能にするものではないだろうか。      
岩田雅一

■時代の潮流に逆らい、抗して、ついに国家権力から流罪された法然上人と親鸞聖人ら御弟子七人。そして死罪された御弟子四人。
■さて、私たち、特に真宗門徒は時代の潮流にただ漫然と乗っていてよいのでしょうか…。

編集添記

▼あらためて、あるご門徒さんが言われた「放射線、安全と言うなら自分が食べてみよ」や「原発を建てるんやったら会長、社長の家に建てよ」を思い出しています。それにしても、いつの時代も被害を被るのは一般庶民なのです。▼そう言えばこんなことも教えていただきました。それは3月、4月にあった例の計画停電のことです。表紙のグラフや文章からもそれは明らかになってくるわけですが、あの計画停電の真の目的は、「どうだ、原発が無いと、こんなに困るだろう」とまたまた一般庶民を脅し、「必要神話」をいよいよ確固たるものにするための計画停電なのだと。
▼ただ、小出裕章さんは『原発のウソ』の最後の方でこのように言葉を結んでおられます。「安全な地球環境を子どもや孫に引き渡したいのであれば、「知足」しかありません。まずはエ不ルギー消費の抑制にこそ目を向けなければなりません。」
▼「知足」とは浄願寺の山号です。やはり、批判は、私自身にも向けるべきものなのですね。


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