テーマ 2011年 報恩講(104座)

2011(平成23)年12月1日


表紙

11月18日(金)から11月20日(日)、浄願寺に於きまして報恩講法要が勤まりました。ここに写真を掲載しご報告させていただきます。(浄願寺通信に写真を加えています。)合掌

↑11月13日(日)朝 仏具のお磨き(仏教婦人会)

↑11月17日(木)夜 内陣 荘厳

↑11月17日(木)夜 お華束盛り

↑11月18日(金)朝 山門 提灯設置 幕張り

↑11月18日(金)朝 玄関 幕張り

↑11月18日(金)朝 向拝 幕張り

十一月十八日(金)午後一時半 初逮夜

↑御伝鈔拝読 上巻 澤面宣了(当寺)

↑御伝鈔拝読 下巻 澤面章氏(当寺)

十一月十九日(土)午前六時半 晨朝

↑御文拝読 澤面章氏(当寺)

↑法話 和田英昭氏(岐阜 照明寺)
ひと言 人生は不如意である。

午前十時 日中

↑御文拝読 竹中慈祥氏(上多良 真廣寺)

↑感話 高山崇氏(山階 円乗寺)
ひと言 私たち一体、何を基準にして人との間に線を引いているのでしょうか。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 世間の良し悪しを強くわきまえる者ほど危ないのです。

午後一時半 大逮夜

↑御文拝読 樋上聡氏(奈良 円徳寺)

↑感話 竹中慈祥氏(上多良 真廣寺)
ひと言 逃げたい逃げたいと思ってきたこの場所が自分を育ててくれたように思う。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 自分の価値観で自分をも殺していく。

十一月二十日(日)午前六時半 結願晨朝

↑御文拝読 澤面章氏(当寺)

↑感話 木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
ひと言 何事に対しても、割り切って生きてしまう自分がいる。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 今だけ、ここだけ、私だけという生き方になっていないか。

↑お斎

↑午前九時 子ども報恩講

↑満日中の献花まで、余間で待機

午前十時 満日中

↑献花(子どもたちから)

↑献花(子どもたちから)

↑献花(子どもたちから)

↑満日中 内陣 余間

↑御俗姓拝読 筧承氏(山ノ前 蓮光寺)

↑感話 宮尾卓氏(本庄 長源寺)
ひと言 なぜ、ご先祖がこのお寺を建立されたのかを考えたい。

↑法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)
ひと言 いのちといのちが生き合える世界を浄土という。

↑副総代長よりお礼の言葉 野村吾郎氏

内陣出仕僧の方々(他所より)

●樋上聡氏(奈良 円徳寺)
●和田英昭氏(岐阜 照明寺)
●竹中慈祥氏(上多良 真廣寺)
●早嵜和典氏(早崎 要誓寺)
●禿子慈孝氏(北方 通来寺)
●高山崇氏(山階 円乗寺)
●木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
●宮尾卓氏(本庄 長源寺)
●大田雅幸氏(今 岩隆寺)
●武田晃威氏(国友 遍増寺)
●筧承氏(山ノ前 蓮光寺)
(順不同)

法要式次第


十一月十八日(金)

■午後一時半 初逮夜 
 正信偈 真四句目下 
 念仏讃 淘五
 和讃 弥陀成仏のこのかたは 次第六首
 回向 我説彼尊功徳事
 御伝鈔拝読  
  上巻 澤面宣了(当寺) 
  下巻 澤面章氏(当寺)

十一月十九日(土)

■午前六時半 晨朝 
 正信偈 中読 
 念仏讃 淘五
 和讃 道光明朗超絶せり 次第六首
 回向 世尊我一心
 御文拝読 『中古以来』澤面章氏(当寺)  
 法話 和田英昭氏(岐阜 照明寺) 

■午前十時 日中
 正信偈 真四句目下 
 念仏讃 淘五
 和讃 光明月日に勝過して 次第六首
 回向 願以此功徳
 御文拝読 『大坂建立』竹中慈祥氏(上多良 真廣寺)
 感話 高山崇氏(山階 円乗寺) 
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

■午後一時半 大逮夜
 正信偈 真四句目下 
 念仏讃 淘五
 和讃 五十六憶七千萬 次第六首
 回向 我説彼尊功徳事
 御文拝読 『御正忌』 樋上聡(奈良 円徳寺)
 感話 竹中慈祥氏(上多良 真廣寺) 
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

十一月二十日(日)

■午前六時半 結願晨朝
 正信偈 真読 
 念仏讃 淘五
 和讃 南無阿弥陀佛の廻向の 次第六首
 回向 世尊我一心
 御文拝読 『鸞聖人』澤面章氏(当寺)
 感話 木村英淳氏(大阪 玉泉寺)
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

■午前十時 満日中
 正信偈 真四句目下 
 念仏讃 淘五
 和讃 三朝浄土の大師等 次第三首
 回向 願以此功徳
 御文拝読 『御俗姓』筧承氏(山ノ前 蓮光寺)
 感話 宮尾卓氏(本庄 長源寺)
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

編集後記

講師の高橋法信先生は「報恩講」の「恩」について今年も熱く語ってくださいました。ここに二席目、三席目、四席目からのひと言を掲載させていただきます。

▼自分の価値観で自分をも殺していく。
▼今だけ、ここだけ、私だけという生き方になっていないか。
▼いのちといのちが生き合える世界を浄土という。

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌の年、今年も、「報恩講」に遇わせていただきました。準備から色々とお世話をしてくださいました総代さま、婦人会の皆さま、法中さま、そして皆々さま、ありがとうございました。


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