テーマ 集会のご報告(121座)

2014(平成26)年3月1日


表紙

私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。
便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。
原発はその向こうにあるのです。
人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。
自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。
私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。
武藤類子

住職記

2月に参加しました集会のご報告をさせていただきます。(文責住職)

■「真宗大谷派9条の会長浜」設立集会が開催されました。

▲2月2日(日)、午後1時半〜4時半、長浜勤労者福祉会館 臨湖にて、「真宗大谷派9条の会長浜」設立集会が開催されました。決議文の結びにはこのように書かれてあります。

今日ここで立ち上げた「真宗大谷派9条の会長浜」を一つの確かな足場とし、御同朋・御同行の地平に立ち、戦争のない国、世界を憶念しつつ、様々な運動と連携しながら憲法をまもる行動をさらに大きく前進させていきましょう。

▼講演は「真宗と憲法改悪問題」〜社会と関わる仏教、関わらない仏教〜というテーマで尾畑文正さん(三重教区泉稱寺住職・元同朋大学学長)がお話されました。

▼尾畑文正さんからの言葉

誰かを犠牲にした私たちの生活など、成り立たせて良いのか。

浄土を願う者として、非戦、平和、反差別は当然の姿勢だと思う。

真宗と憲法改悪問題を通して、今、人間を取り戻したい。

「ナムナム大集会7」が開催されました。

▲2月5日(水)、午後12時半〜4時半、ひと・まち交流館京都にて「ナムナム大集会7」が開催されました。レジュメの趣旨文にはこのように書かれてあります。

親鸞聖人はその教えの中で海の広さと深さをもって念仏のはたらきをあらわされます。それは40億年前に誕生した生命のみなもと、つまりすぺてのいのちのふるさとが海であるということをどの時代においても証していくような表現であります。群生海とはそこから始まったすべてのいのちが生き合う世界ということです。いまその海そのものが濁り、その広さと深さを失おうとする私たち人間がもう一度その存在に帰っていくことを求めていかなければなりません。今を生きる「ひとり」として過去と未来に対してきちんと責任を担うような生き方です。そのことに向き合い続けてこられたゲストの方々、水俣、福島、祝島、それぞれの海からの声をいま、言葉として聞いていきたいと思います。

▼ゲストは以下の方々です。
緒方正人(漁師、水俣本願の会)
武藤類子(ハイロアクション福島、福島原発告訴団団長)
那須圭子(フォトジャーナリスト)

「部落解放研究 第21回 滋賀県集会」が開催されました。

▲2月15日(土)、午前9時50分〜午後4時、滋賀県立文化産業交流会館にて「部落解放研究 第21回 滋賀県集会」が開催されました。午前の全体会の公演は「はだしのゲン、そしてフクシマ」というテーマで神田香織さん(講談師)がお話されました。

▼神田香織さんからの言葉

被災地で生活されていた人が、足の裏が猛烈に痛み、眼の下にクマが出来、どうにもならなくなり、山梨県に移住されました。ところが暫くすると、病状が改善したのです。ですから、保養等による、細胞のリフレッシュが有効なのです。子どもたちはなおさらです。

生涯、反戦反核を訴えていきたい。

▲午後の分科会は、「えん罪を防ぐために」というテーマのもと、講師、中北龍太郎さん(狭山事件再審請求弁護団事務局長)、パネラー、石川一雄さん(狭山事件再審請求人)、菅家利和さん(足利事件冤罪被害者)、桜井昌司さん(布川事件冤罪被害者)、司会、丸本千悟さん((公財)滋賀県人権センター)による第5分科会に参加しました。

▼中北龍太郎さんからの言葉

えん罪は、意図も簡単にその人の人生を滅茶苦茶にし、奪い取るものなのです。

今回パネラーの3人の方に共通しているのは、嘘の自白をさせられたということです。それは、いかに警察の取り調べが、とんでもないかということです。

えん罪を防ぐことは待ったなしの課題です。しかし、何よりも大切なのは、我々市民がえん罪を生み出す社会の仕組み(捜査のあり方、裁判所の姿勢)を見抜く眼を持つことが不可欠です。

編集後記

▼今回の集会で、それぞれの人たちの言葉を聞きながら共通して感じたのは、社会的弱者と共に生きておられる…その立ち位置です。それは決して、同情や労りといったものではなく、親鸞聖人の言われるわれらの世界です。緒方正人さんも「原発をめぐる人間同士の対立に、仲介者として他の生き物に入ってもらうべきではないか。原発を推進する他の生き物がはたしているでしょうか。」と語られました。やはり、親鸞聖人の言われる「「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。」『尊号真像銘文』親鸞聖人(真宗聖典521頁)の世界です。▼3月11日、震災から3年が経ちます。あらためて、悲しみ苦しむ人の声、言葉を発しない動物の声、声を発しない植物の声、そんなすべての声々に耳を澄まさねばなりません。▼表紙の言葉は、武藤類子さんの言葉です。震災の年、「9・19 さようなら原発5万人集会」でのスピーチからです。


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