テーマ 旃陀羅(せんだら)は救われていない(158座)

2017(平成29)年5月1日


表紙

まずはっきりと申し上げておきたいことは、私はこの『観無量寿経』の「是旃陀羅」文言は差別的な表現であって、重大な問題だと思っています。(中略)ではそれをどうすべきか。差別言辞だから削除すべきなのか。私は、これは消してはいけないと思います。『観無量寿経』あるいはそれに対する善導大師の了解から私たちが学んだことは、人間には能力や資質にはいろいろな違いがある。上品上生から下品下生まで、善人から極悪人までいるのだと。浄土教というのは、その違いをすべて超えて浄土に往生する教えであるということです。浄土に往生するには、どんな有能な人でもどんな愚かな人でも称名念仏です。(中略)差別を悲しみ、平等の救いを求めているはずの経典、あるいはそのことを明確にしようとする書物の中にも差別的な発言があるのだということをどう受けとめるか、それが私たちの課題です。私は、そこから安易に目をそらすのではなく、差別の問題はそれほど根が深い問題であるということを聞き取らなければならないのではないかと思うのです。(中略)差別はどこにでもあるのだということ、このことを私たちは決して見逃してはいけない。もしそれを差別語狩りのように削除したり、覆い隠してしまったら、すぐに忘れて、そんな問題など一切なかったような顔をしてしまうようになります。ですから、重要な問題であるからこそ、そのことから目をそらしてはいけない。そのためにも、この言葉は経典の中にある棘として残しておかなければならない、と私は思うのです。仏典の中でさえ差別的な表現がでてきてしまうのだということをまざまざと見せ付けられてくる問題として、私たちは大切にしていく必要があるのではないかと。

『これまで、今、そしてこれから〜同朋会運動五十年の歩みを機縁として〜』
藤場俊基講述

住職記

※前号で少し旃陀羅のことのついて触れましたが、引き続き書かせて頂きます。 『仏説観無量寿経』の中で、母である韋提希を殺そうとする阿闍世に対してそのようなことをするのは旃陀羅であると大臣が剣を収めさせます。旃陀羅とは古来インドの最下層の被差別民衆を指し、経典の中にこのような差別用語があり、これによって今も尚、差別に苦悩する人々がおられます。

〓下品下生者の所に念仏

 『仏説観無量寿経』は文字通り、無量寿仏を観るための教えです。その行は定善十三観と、その定善が出来ない者のための散善三観があります。そして散善の者を上品上生者(じょうぼんじょうしょうしゃ)から順番に九品に分け、その一番最後の下品下生者(げぼんげしょうしゃ)の所にその行として初めて念仏が説かれています。

〓念仏は落ちこぼれのため?
 
しかし悲しいかな、そのような教えを聞くとまたその者の間に競争が生まれてきます。当時から念仏は所詮、下品下生者という落ちこぼれのための一段下がった方便であると考えられてきました。

〓仏の人間理解の究極

ところが親鸞聖人は『仏説観無量寿経』を『無量寿仏観経』と引っくり返しておられます。
(真宗聖典325頁 326頁 331頁 424頁 471頁 542頁)
そのことによって主語が反対になります。私が仏を観るのではなく、仏が私を観るのです。そのことを宮城先生はこのように教えてくださいます。
 
実は下品下生に至って初めて人間をとことん観たと、人間の事実をとことん明らかにしたということになるんでしょう。下品下生は落ちこぼれじゃなくて、実は仏の人間理解の究極だと。その人間の根源的な事実に応える法が真実なんだと。そこに逆に方便とされておったその念仏こそが唯一の行だという展開がそこに開かれてくるわけでありまして、ですからそこのところでは この「観」という字は、仏からいえば観察する、しかし我々からいえばその観察され、それに喚びかけられておるその仏言を信ずるという、観は信の意味になってくるわけでございます。
『現代の聖典』宮城豆頁(しずか)講述

〓親鸞一人がためなりけり

まさに親鸞聖人が『歎異抄』の中で、下品下生者とは他でもない、「いずれの行もおよびがたき身」(真宗聖典627頁)である自分自身の上に、「ひとえに親鸞一人がためなりけり。」(真宗聖典640頁)と頂かれているのではないでしょうか。そして「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(真宗聖典627頁)と言い切られるのです。

〓旃陀羅は救われていない

先日の第2回解放運動特別指定伝道研修会(解放特伝)で、講師の小森龍邦さんと岡田英治さんがともに、「観経の中で、韋提希も阿闍世も救われているが旃陀羅は救われていない」と語られました。まさにその通りだと思います。観経の中で、今も旃陀羅は排除されたまま救われていないのです。そのことを考えるにあたっては、同じく小森龍邦さんがもうすでに明らかにしてくださっています。それはこのような文章です。

「天上天下唯我独尊」釈尊、生きとし生けるもの全ての生命(いのち)を尊ぶとは、小さな人間の生命を限りなくかけがえのないものとして尊ぶことから始まります。つまり、常に抑圧され続けている社会的弱者、最も異端視され、社会から排除されている最後の一人こそが、人間としてかけがえのない、地球上に後にも先にもその人一人しか存在しない素晴らしい生命なのです。『部落解放』(1990年10月 第316号)

親鸞聖人が経題を引っくり返してまで教えてくださる『無量寿仏観経』である限り、仏の救いは「最後の一人」にあるのです。「旃陀羅は往生正機正客」と言われた武内了温さんの言葉も重なります。

〓歴史を救うことは出来る

次頁の通り、仏教界、そして大谷派教学も旃陀羅に対する誤った解釈・解説を繰り返し、それによってこのような痛ましい差別の歴史を作り出してきました。そのことは戦前から問われ続けてきたことなのです。私たちは先ずこの告発の声を真摯に受け止めるところから出発しなければならないと思います。歴史は変えることは出来ません。しかし歴史を救うことは出来るのではないでしょうか。それはこの歴史を担い、課題とし、このことを大事な教えとして生きることだと思います。今、表紙の文章などにもひとつひとつ学び直し、差別の歴史を救う者でありたいと願います。

旃陀羅問題に関する参考資料

■小森龍邦さんからの問題提起

『観無量寿経』の「是旃陀羅」の教説部分は、被差別者にとってはやりきれないほど、心に痛みを感じるところである。『親鸞思想に魅せられて』79頁 小森龍邦 

■すでにあった全国水平社からの問題提起

1940年7月26日、全国水平社幹部らと東西両本願寺の懇談会が開催されたが、その席上で、全国水平社の井元麟之(いもとりんし)中央執行委員より「観無量寿経及び親鸞聖人の和讃の旃陀羅解は断じて誤りであり、その曲解が差別観念をいかに助長してきたか判らない。場合によっては、教典の語句訂正も必要であると信ずるから徹底的な検討と善処を要請する」との申し入れがなされている
「部落差別と仏教の業思想」・『部落解放史・ふくおか』第8号 19頁

■旃陀羅に対する誤った解釈・解説(年代順)

「是旃陀羅といふはすなはちこれ四姓の下流なり。これすなはち性、匈悪(きょうあく)をいだきて仁義を閑(なら)はず。人の皮を着たりといへども、行ひ禽獣に同じ」
『観経疏』(序分義)善導大師(613〜681年)      

御門下の号するある一種のなかに、この法をもて旃陀羅を勧化すと云々。あまさへ、これかために値遇出入すと云々。こと実たらははなはたもて不可思議の悪名なり.本所にをひて、ことにいましめ沙汰あるへし。是非すてにこの悪名のきこへあるうへは、なかく当寺の参詣を停止せしめて、外道の道路に追放すへき歟(か)
1346年『十三箇条掟書(おきてがき)』伝覚如

「旃陀羅、此ニハ、屠肉ト翻ス。即チ穢多ノ事ナリ」
1710年『観無量寿経叢林解(そうりんげ)』恵空(えくう)

「旃陀羅は日本で云ふ穢多の如き者にて、いつち劣りたる筋目のものなり」
1810年『観無量寿経講義』深励(じんれい)

「旃陀羅 梵音チャンダーラ(Candala)、暴悪、屠者などと訳する。四種族の下に位(くらい)した家無(いえなし)の一族で、魚猟、屠殺(いぬころし)、守獄(ろうばん)などを業とし、他の種族から極めて卑しめられたものである。穢多、非人といふほどの群(むれ)をいふ。」
1911年『浄土三部経講義』523頁 柏原祐義(かしわばらゆうぎ)

■ある被差別部落の方の言葉

ある被差別部落の方は、悲しみと怒りをこめて、「ヨツというのは、親指を一本折る、つまり親殺しということであり、センダラということだ。」『部落問題学習資料集』〔改訂版〕190頁)と訴えられている。これは王舎城の悲劇に由来しているであろう。何百年、「旃陀羅」の語によって差別され、生命を奪い続けられてきた人々の、歴史の底からしぼり出されてきた悲しみと憤りの言葉である。『真宗』東本願寺発行 2017年3月号 48頁  

■出発点

戦前からのこの厳しい問題提起が、現実に毎日浄土三部経を法事等で読経している現場の住職の一人ひとりのところまで届いていたであろうか。また、教学の現場である宗門大学の教授・学生のところまで届いていたであろうか。また、全真宗門徒のところまで届いていたであろうか。否、過去のことでなく、現在はどうなのであろうか。私どもは先ずこの告発の声を真摯に受け止めるところから出発しなければならない。
『現代の聖典 学習の手引き』東本願寺発行 351頁

通信では旃陀羅は「栴」を「旃」で統一しています。旃陀羅問題について詳細を知りたい方は住職まで、おたずねください。

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