宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要 於真宗本廟(東本願寺)長浜教区16組として(浄願寺から15名)団体参拝を致しました。
▼花まつり子ども大会(長浜教区)に参加しました。
5月3日(水)13:00〜於長浜別院
★4月12日、「同関協」宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年
立教開宗八百年慶讃法要記念大会が開催されました。
▼しんらん交流館、東本願寺御影堂門前に於いて、真宗大谷派同和関係寺院協議会(同関経)の記念大会が開催されました。私はその時に拝読された「表白」にとても感銘を受けました。ここに掲載させて頂きます。また当日配られた冊子から規程前文と趣意書を左記に抜粋させて頂きます。重ねてどうかお読みください。
「同関協」宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要記念大会
表白
あなたのご誕生から八百五十年
真宗を開顕されて八百年の時をいただいて申し上げます
あなたが大切にされた『観無量寿経』
そのお経の「是旃陀羅」の語
わたしたちはいま 読まれると痛いという声を聞いています
あなたならどうされるでしょうか
その言葉に傷つかれたお同行の指摘に耳を傾けることもせず
百年が過ぎました
釈尊をはじめ 七高僧から学ばれた尊いお聖教
あなたは そのご註釈のなかで
その言葉に表向きに触れず 裏書のメモに留められました
この態度をわたしたちはどう受けとっていったらよいでしょうか
これまで差別によって傷つかれた同行の訴えに
ご開山に申しわけなかったという気持ちはないんですか
という信心の呼びかけがありました
彼らはじぶんたちへのお詫びを要求したのではなく
彼らが心から敬うあなたを 冒涜していることへの訴えでした。
わたしたちはいま 読まないでほしいといわれながらやめられないでいます
差別のない世界を願いとしながらも
無自覚に読誦してきたことへの慙愧として
わたしたちは その言葉を読めなくなりました。
傷つけられた者と傷つけた者が本当に救われるまでは
あなたのご誕生をお祝いするとき 感謝とともにお詫びします
あなたは「無慙愧は名づけて人とせず」と引いてくださいました
慙愧するところに人と人がはじめて生き遇えることを見るとき
傷つけられてきた同行の問いを思い出します
あんた人間忘れたん どこで忘れたん
人間忘れていませんか
忘れていたことにも気づかずにいました
傷つけられた者と傷つけた者をともに救う
汝 我が名を称えよという如来からの呼びかけ
共に 朋に 友に 生き遇う世界を求めて
ここに ともに 悩み 人間を回復していく歩みを果たしていくことを
敬って申し上げます
人間を忘れません
南無阿弥陀仏
二〇二三年四月十二日
真宗大谷派同和関係寺院協議会
仲秋の候 御尊院にはご清祥の段大慶に存じます。陳者 此の度同和問題について国民的課題として差別の完全解放運動が行われておりますが、吾宗門も前難波別院輪番による差別事件を機縁としまして、八回に及ぶ解放同盟の糾弾を受け宗門人として誠に慙愧も耐えない状態の中で同和部を設立し、本問題の全宗門的運動として展開致しておりますが、現実は遅々として全門末に及んでいない有様であります。然もこの被差別の未開放部落は、大部分宗祖聖人の御教を信ずる門徒であり、その苦渋と血のにじみ出る解放への叫びは同和関係寺院の共感する声であり責務でありますと共に、その願いに挺身せねばならない事は言を俟たない事実であります。国に於きましては同和対策事業特別措置法が制定され十ヶ年の期限立法として本問題にとりくんでおりますが、既に早六年に及ぶ中で、なかなかその施策の困難さがうかがえておる現在、期限の延長の見通しも暗い状況であり、非常なあせりをおぼえる状態であることは周知のとおりであります。吾宗門内にありましても、とくに同和関係寺院が、今こそ相提携して、この完全解放が達せられますよう、真剣に結集し、その運動の展開に遇進しなければ、宗門人としては勿論、宗祖聖人の念仏の教すら失われる結果となりましょう。一日も早く完全に解放できる社会を念じここに協議会を新たに発足させて参りたい所以でもあります。何卒御尊院の全幅の御賛同をお願い申し上げます。
昭和四十九年九月六日
大谷派同和関係寺院協議会 発起有志委員一同
差別に苦しむものが一人でもいるかぎり
その差別からの解放を自らの課題とする
▼真宗大谷派のすべての寺院が部落差別問題と密接に関係があると思います。「同関協」にまだの寺院はぜひとも加盟されてはどうでしょうか。(電話075-371-9247)
▼最後に同じく冊子から「是旃陀羅」問題に対する「同関協」の基本姿勢の結びを掲載させて頂きます。
悲しみが極まると涙は涸れるといいます。胸中で涙を流し、怒りに震えるご門徒。声を挙げず黙って願い続けておられるご門徒。そして『観経』の読誦に感じる痛みを、勇気をもって発せられた声。その声にいかに耳を傾け、受け止め、向き合っていくのか。私たちに求められるべき姿勢は共に悩むものとなりうるか、ということです。
★5月19日、長浜教区青少幼年部主催のおえかきコンテスト「デザイン仏」に浄願寺から続いて1名(計23作品)の方が応募してくださいました。
★5月10日、滋賀同宗連 現地研修会に参加しました。
★5月6日〜7日、於長浜別院蓮如上人御影道中(350回)が勤まりました。
▼蓮如上人(一四一五〜一四九九)が亡くなられた後、北陸、吉崎での教化の御苦労とそのお徳を偲ぶ法要のご縁が生まれ、蓮如上人の御影を本願寺よりお迎えして勤められたのが蓮如上人御影道中の始まりです。それ以来、毎年、吉崎別院で蓮如上人御忌(ぎょき)法要が厳修される時期に、蓮如上人が歩いたといわれる吉崎別院までの約二四〇キロの道程を、随行教導(ずいこうきょうどう)や、宰領(さいりょう)をはじめとする供奉人(ぐぶにん)方が中心となり、自主参加(一般参加)の方々とともに、六十七の会所に立ち寄りながら一週間かけて歩き(御下向(ごげこう))蓮如上人の御影を門信徒の待ち受ける吉崎の地へ運ぶ旅が連綿として続けられています。今年は節目の350回を迎えました。
▼蓮如さんが六歳の時、理由あってお母さんが本願寺を去られました。そしてもう二人は二度と出会うことはありませんでした。そのお母さんの遺言である「願わくば、あなたの一生をかけて、親鸞聖人の御教えを、再び興して下さい」『蓮如上人遺徳記』が蓮如さんを生涯、歩ませたのだといわれます。
▼重ねて蓮如さんは、その使命感と同時に、きっと行く先々でお母さんのことを探しておられたのでしょう…それを思うと蓮如上人御影道中が一層、私の中に染み込んできます。今年もここ長浜に蓮如さんが歩いて来てくださいました。(住職記)