テーマ 石川一雄さん還浄(げんじょう)(253座)

2025(令和7)年4月1日


石川一雄さん還浄 住職記

■狭山事件とは1963年5月1日、埼玉県狭山市で「脅迫状」絡みの女子高校生殺害事件です。警察は被差別部落出身を理由に、何の証拠もない当時満24歳の石川一雄さんを別件逮捕し、1ヵ月にわたる代用監獄で取り調べ、嘘の自白をさせ犯人に仕立てました。無罪の石川さんは 1994年12月21日の仮出所まで、31年7ヵ月という獄中生活を強いられました。
■以前の浄願寺通信「狭山事件から50年」(2013年8月号)と「狭山事件から60年」(2023年8月号)にも書かせて頂きましたが、「脅迫状」と石川さんが逮捕後書かされた「脅迫状写し」との違いも明らかです。その他有罪の証拠とする「万年筆」の発見経過等もみんな捏造です。そして何度も東京高等裁判所へ異議を申し立て、証拠開示請求を訴え続けていたにもかかわらず、1974年10月31日の第2審東京高等裁判所の有罪判決以来、狭山事件第3次再審は実現しないままでした。
■石川さんは獄中生活の間に両親を亡くされましたが、まだ一度もお墓参りをされていません。その理由は満72歳の時に次のように語っておられます。 ※下参照

両親は無実だと知っていますけど、殺人犯というレッテルを貼られている手で両親の前で手を合わせたら、逆に悲しむんじゃないか、心を鬼にして自分の信念を曲げずに無罪になったら改めて報告しようと…。

■悲しいことにご両親に合掌することも出来ない石川さんは、その手に見えない手錠をかけられたまま、この3月11日に生涯を閉じられたのです(還浄)。
■石川さんが還浄されたことで、第3次再審請求審は終了となりますが、今後は伴侶の早智子さんが遺志を継ぎ、第4次再審請求を行います。先日の毎日新聞に掲載の早智子さんの次の言葉があります。「見えない手錠をはずすまで彼の無念を、悲しみを、彼の思いとともに闘い抜きます。」
■今あらためて思います。今回の冤罪である狭山事件は、国家体制の横暴さと第三者に潜む差別意識を煽る報道に始まっています。いつの世もマジョリティ(多数者)の偏見や思い込みが大きな声になり、マイノリティ(少数者)の声はかき消され、踏みつけられ、そして今回のように犯人にもされてしまうのです。これは多数者の悪意なき無自覚のままに生産される差別的社会構造の問題です。誰もが当事者であるが故に、等しく私も差別問題に生涯学び続けなければなりません。還浄された石川さんのことを痛み続け、まったく現場は違いますが、私も早智子さんと同じその遺志を継ぎ、ひとりのいのちが無残にも奪われる、このような社会と闘い抜く者でありたいと決意を新たにしています。南無阿弥陀仏


▼お墓参りをされないその理由(始まりから約7分後)


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