1月(前) | 花ひらく 人生に花ひらくとは この自分が押し頂けたことです (浅田正作) |
1月(後) | 人間が自分の頭に正義という名を付けたら どんな残酷なことでも出来る (司馬遼太郎) |
2月(前) | 今までは 人のことじゃと思いしに 俺が死ぬとは こいつぁたまらん (十返舎一九) |
2月(後) | たくさん答を持つほどに ますます孤独になっていく |
3月(前) | 「絶対に見捨てない」という仏のこころから すぐに見捨てる私が問われる |
3月(後) | 自分さえ良ければいい しかし それだけではない 本当の私 |
4月(前) | 戦争は正義によって始まり 終われば犠牲だけが残る |
4月(後) | やどかりが自分の殼を自分だと言ったらおかしいだろう 私は自分の殼を自分だと思っている (浅田正作) |
5月(前) | 浄土とはあるかないかではない 願わずにおれない世界をいう |
5月(後) | 善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり (親鸞聖人) |
6月(前) | 念仏とは 私を念じる仏の声を聞くことである |
6月(後) | 大人が子どもを受け入れる力よりも 子どもが大人を受け入れる力の方がずっと大きい |
7月(前) | 月かげの いたらぬ里は なけれども 眺むる人の こころにぞすむ (法然上人) |
7月(後) | 信心とは信じ込むことではない 疑いなしということに出会ったということ |
8月(前) | 亡き人を案ず(じ)る私が 亡き人から案ぜ(じ)られている |
8月(後) | 私を喚ぶ声 いまに十劫をへたまえり |
9月(前) | 亡き人を前にして 悲しみを感じるのは その人から 実にたくさんのものを頂いてきたからである |
9月(後) | 私は正しいとがんばるほどに 行き着く所は一人の世界 |
10月(前) | 私たちは生きることなく ただ 生きる準備ばかりしている (パスカル) |
10月(後) | 念仏は請求書ではなく 領収書である (米澤英雄) |
11月(前) | 一人ひとりの人生は 代わる者 有ること無し |
11月(後) | 人間は理知によって 暴力的になるものです |
12月(前) | 自転車のタイヤを直接支えてくれるのは 三センチあるかないかの道はばである しかし はば三センチの道を 自転車で走ることは 私にはとても出来ない (東井義雄) |
12月(後) | やられたらやり返す この論理が 限りなく争いを生産する |
▼過去の掲示板の言葉 (一覧)に戻る |