テーマ 2004年 報恩講(62座)

2004(平成16)年12月15日


 

※一番下の参照画像(写真がちょっと変ですが…)でもお読みいただけます。クリックしてご覧ください。

 

表紙

十二月三日(金)から十二月五日(日)浄願寺に於いて、親鸞聖人との対座である報恩講法要が勤まりました。ここに写真を掲載し、御報告させていただきます。
                                                      合掌
講師 高橋法信先生(光徳寺住職・大阪)

 

十二月三日(金)

●午後二時からの初逮夜の後、親鸞聖人のご生涯が綴られた御伝抄拝読です。上巻は澤面宣了(当寺住職)です。下巻は澤面章氏(当寺前住職)です。

 

十二月四日(土)

●午前六時からの晨朝の後、澤面章氏の御文拝読です。

●引き続き高山崇(円乗寺住職・山階町)さんの法話です。高山さんからのひと言です。
 
私たらは、反対のものを見ようとする眼、反対のことを聞こうとする耳を失っているのではないでしょうか。

●午前九時半からの日中の後、澤面真世氏(当寺坊守)の御文拝読です。

●引き続き黒田真(満立寺副住職・宮司町)さんの前座法話です。黒田さんからのひと言です。
 
問題だらけの家庭の中にこそ、教えを聞く場がある。

●引き続き高橋法信(光徳寺住職・大阪)先生の法話です。高橋先生からのひと言です。
 
おかげさまといって、喜んでいるが、それは、自分の都合を喜んでいるだけではないのか。

●午後一時からの大逮夜の後、充子慈孝(通来寺副住職・北方)さんの御文拝読です。

●引き続き照井静志(長浜教務所)さんの前座法話です。照井さんからのひと言です。
 
『浄土』『本尊』という言葉は、人間の深い要求から生まれてきた言葉だと思う。

●引き続き曽我謙成(等倫寺住職・一色)さんの前座法話です。曽我さんからのひと言です

ころころと模様が変わる万華鏡、これとよく似ているのが日本人の宗教…、仏教、神教、キリスト教、ころころと教が変わる万華教。

●引き続き高橋法信先生の法話です。高橋先生からのひと言です。

『答』に立つ時、出会いはなく、『問い』に立つ時、出会いがある。

 

十二月五日(日)

●午前六時からの結願晨朝の後、島野政友(貞正寺住職・大阪)さんの御文拝読です。

●引き続き木村英淳(玉泉寺住職・大阪)さんの前座法話です。木村さんからのひと言です。
 
日ごろの心の奥底に「本当にそれでいいの」という声がある。

●引き続き高橋法信先生の法話です。高橋先生からのひと言です。
 
仲間だけの『浄土』などない。

●引き続きお斎です。

●午前八時半からの子ども報恩講です。

●午前九時半からの満日中が始まり、子どもたち、一人ひとりからの献花です。

●満日中の後、澤面宣了の御俗姓拝読です。

●引き続き島野政友さんの前座法話です。島野さんからのひと言です。

こうあるべきだという我が思いが、私自身を苦しめている。

●引き続き高橋法信先生の法話です。高橋先生からのひと言です。

見捨てないという世界にふれたとき、いかに自分が他を排除し、偏った生き方をしていたかが見えてくる。

●最後に、成田千也(浄願寺総代長)さんのお礼の言葉です。 

 

●準備から色々とお世話をしてくださいました総代様、婦人会の皆様、子どもたらにお菓子をくださいました落居吉男様、そして皆々様、本当に有難うございました。
                                                      合掌

 

編集後記

今年、高橋法信先生をはじめ、それぞれの人のお話を聞き、私自身もまた、いつのまにやら、すっかりと染み込んでしまった価値観によって、他を裁き、自らも苦しめている日ごろの在り方を思います。でも、同じようにそのことを課題とし、歩もうとされている人たちがおられることに、力強さと連帯感を同時に思う報恩講さんでした…。

 

参照画像 2頁


 

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