テーマ 十方衆生〜原発に問う〜(101座)

2011(平成23)年6月1日


 

表紙

▼珠洲(すず)市で起こった反原発運動の中で、可能性調査の作業車の前に飛び出し、車の前で大の字になった一人の老婆の姿があった。「ひくならひいてみろ。おら(わたし)の命ひとつで原発が止まるんなら、これで子どもたちや孫たちに顔向けができるんや。さあ、ひけ!」という、いのちを紡ごうとする人々の姿があった。
▼また、作業員に合掌しながら、「ありがとう。本当にありがとう。あんたらに本当に感謝しとる。あんたらが原発の問題を持ってきたおかげで、わしはここに大事な宝があることを忘れとったことに気がついた。自分を育ててくれたこの海と山や。この宝をそのまま子や孫たちに渡すことがわしの仕事やった。もう十分やから、どうぞお帰りください」という老人たちの姿があった。
▼六ヶ所村に集積されようとする核廃棄物とは、原発から生み出され、人間には処理することのできない「死の灰」である。その中のプルトニウムを考えれば、その寿命が終わるまで、二十万年を越える管理をしなければならない。そんな責任を誰が負えるというのか。私たちは、それを六ケ所村と未来の子孫に押し付けたのである。

『いのちを奪う原発』「豊かさのいけにえ」〜原発を認めてきた時代と私たち〜長田浩昭より

 

住職記

■先日の福島第一原子力発電所の周辺で、数多くの牛、馬、豚、鶏が殺処分されたことで、あるご門徒さんがこのように話されました。

「あの動物たちに手を合わせる人間、あるいは頭を下げる人間がほとんどいないことが本当に痛ましい。今日ほど人間が傲慢になっている時はないように思う。」

■その言葉に私もただ同感するばかりです。そのことで、あらためて思い起こされる「みんなの願い」という題のSF小説があります。話は次のような内容です。

ある日、道を歩いていたら、
「私は神の使いでございます」
という声が聞こえてきました。その声は、どうやらみんなの脳に直接、届いているようで、誰もがまわりをキョロキョロしながら驚いています。
「今回、地球が一周期を迎えました。その記念日にあたり、神様が皆さんの願い事を一つ叶えてくださることになりました。一週間の時間をあげます。一週間後、あなたの願い事を一つだけ神様に念じてください。その中で一番多かった願い事を神様が叶えてくださいます」 
その声はみんなに届いているわけですから、職場も学校も街中もその話題でもちきりです。世界中が願い事で一色になりました。

■さて、あなたならどんな願い事を念じますか?。
■この話の結末は、ここに原文をそのまま掲載します。

そうしているうちに、願い事に染まった一週間が過ぎた。人々はそれぞれに願い事を決め、神に向かって念じた。願い事を済ました人々は一様に緊張して神様の発表を待った。……そしていよいよ発表の時がやって来たのだった。
「地球の皆様今日は。私の声が聞こえていますでしょうか」
一週間前と同じ不思議な声がまた聞こえて来た。もちろん今度は誰も驚かない。みんなこの時を待っていたのだ。
「私は先日皆様に御挨拶させていただいた神の使いでございます。さて、本日は以前お知らせした通り、神が願いを叶える件につきまして願いが決定しましたので発表させていただきます」
「一体どんな願いが叶うのだろう」
「自分の願いが叶えばいいな」
 みんな一心に声に耳を澄ましている。
「こちらといたしましてはおそらく色々な願いがあるだろうと思っておりましたが、意外にまとまっておりました。いえ、これは余談です。それでは発表いたします」
 人々が『意外にまとまっていた』という願い事について「もしかして他のみんなも自分と同じ願いを……」などと勝手に想像しているうちに神の使いは言った。
「今度神が叶える願い事は……人間以外のほとんどの生物の願いである『人間を地球上から滅亡させて下さい』というものに決定いたしました。皆様、次の一周期を目指して地球を大切にして下さい。それでは御機嫌良う」
 そんなわけで、人間たちが最後に聞いたのは動物たちの歓喜にも似た鳴き声だった。
『ショートショートの広場8』星新一編より

■神の使いの声は人間だけでなく、生きとし生けるすべてのもの、仏教の言葉でいうと「十方衆生」に届いていたのです。
■言うまでもなく、この地球上では、あらゆる衆生が共々に生きています。その中で、人間だけがもっと便利に、もっと快適にという欲望によって、この地球を限りなく破壊し続け、ついにはそれを満たすために原発という恐ろしいものまでも作り出したのです。
■そしてそんな人間によって今日までどれほどの生物のいのちが奪われてきたことでしょうか。
■この物語から、人間以外の生物にとって、人間ほど邪悪な存在は他にないと痛感させられるばかりです。
■今、何よりまず私たちに願われていることは、被災された方々をはじめ、先の牛、馬、豚、鶏、そして表紙の文章の中にある「子どもたちや孫たち」「この海と山」「未来の子孫」…、そのようなあらゆる「十方衆生」の発見ではないでしょうか。

 

編集添記

▼表紙の珠洲市の反原発運動の老人の叫びから、ずいぶん前に出会ったフォークシンガーの、まよなかしんやさんの言葉がよみがえってきました。

もしもできることなら
父さん母さんは
故郷の空や海を青いままで
お前に残したい
故郷のやさしさをいつまでも
お前に残したい
親を愛することは
故郷を愛すること
故郷を愛することは
友だちや地球を愛すること
そして愛するということは
愛を破壊するものと闘うこと
『もしもできることなら』まよなかしんや

▼愛を破壊するものとは、決してどこか外にいるのではなく、これまでずっと知らずに原発を認めてきた無知なる私に他なりません…。

▼ところで、真宗本廟(東本願寺)の親鸞聖人の御真影、あのお顔はどう見ても闘う者の顔ですよね。

 


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