テーマ 自の業識(じのごっしき)(172座)

2018(平成30)年7月1日


 

表紙

「あなたの命は大切である」 日本公教育の差別性
 
 こんな授業が、義務教育の中で行われ続けています。
 あなたが産まれたときお父さんやお母さんは、あなたが生まれてくるのをどんなに喜んでくれたか、あなたはどんな赤ちゃんであったかを聞き取り、母子手帳や写真を持ってきて、クラスで話し合い、命の大切さを学ぶ。さらに高学年では、ここまで育ててくれた親に感謝の手紙を書き、それに対する親からの返事をもらい、クラスで発表し合う。
 児童養護施設暁学園では、二十年来反対をし続けてきた授業です。
 人はいつも親に待ち望まれ、喜ばれて、産まれてくるものでしょうか。

『悲しみに身を添わせて』祖父江文宏著

 

住職記

■一昨年、真宗本廟子ども奉仕団の話し合いの時間である女の子が、

「私は離婚したお父さんのことが大嫌いで、出来れば私の中で消し去りたい…」

と辛そうに話されました。実はこんなふうに親のことで苦しんでいる子どもたちはたくさんいます。それを聞いて私は何も言えませんでした…。ただこの場面がずっと私の中に残り、それが深い問いになり、それから色んなことを思い出しました。

■やはり最初に思い出したのが祖父江文宏さんのことです。祖父江さんは、親から虐待を受けたり、あるいは親から見捨てられた子どもたちといっしょに、暁学園で生活されていました。そこで園長すけと慕われていた祖父江さんがいつも子どもたちに

「人間の尊さの根拠は、誕生にあるのです。決して親の条件じゃない。」

と話されていました。長浜別院での人生講座の時には

「親はどうでもいいよ」

とまで言われました。親のことで悲しみを抱えた子どもたちの側にいつも立って、義務教育に対しても反対されてきたことが著書の『悲しみに身を添わせて』の中に書かれています(表紙参照)。

■次に善導大師の以下の言葉です。

既に身を受けんと欲するに、自の業識を以て内因と為し、父母の精血を以て外縁と為す。因縁和合するが故に此の身有り。
『観経疏』 「序分義」善導大師

■私たちの人間の知恵よりももっともっと深いところに、いのちそのものに、「生まれ出でたい」という意思がある。それによって人は生まれ、それを「自の業識」と教えられます。世間で言う父が因で母が縁ではなく、それらはどちらも外縁であり、自の業識こそが内因なのです。

■最後は『おへそのあな』長谷川義史作という絵本です。まもなく生まれようとするお腹の中の赤ちゃんが主人公です。抜粋して掲載させていただきます(下参照)。この絵本はいわば、やさしい親に恵まれた赤ちゃんのお話ですが、話のくだりに家族だけでなく、他の色んないのちが描かれているのです(下の右から2つ目のページ)。私はここが特に素敵に感じます。そしてその次のセリフが

「おいで おいで うまれておいで…………。」

なのです。そして、赤ちゃんは

「あした うまれて いくからね」

とつぶやき、まもなく誕生の時を迎えます。

■人が誕生するということは、親の条件ではなく、あらゆるいのちから

「うまれておいで」

と呼びかけられているその声と、この私の

「生まれ出でたい」

というその声がピタッと一つになった瞬間を言うのでしょう…。

 

『おへそのあな』長谷川義史作

▲ちいさな ちいさな あかちゃん。
いまは まだ
おかあさんの おなかの なか、
だけど……。

おかあさんの
おへその あなから
みえる
みえる。


(中略)

 

▲きこえる  きこえる

かぜの おと、
なみの おと、
とりの こえ、
はなの さくおと。

 

▲おいで

おいで

うまれておいで

…………。

 

▲そして そのよる
いいました。
おへその あなから
いいました。
きこえないよに 
いいました。

 

▲あした うまれて
 いくからね。

 

編集後記

▼話し合いの時間にその女の子が話してくれたことに、やはり同朋会館の場の力を感じました(実際の場所は視聴覚ホールですが)。大切な問いをくれたこの女の子に何も言えなかったこと、そして次はもう会えなかったことがとても心残りです…。ただ約2年経って今回少し思うところを書かせていただきました。

▼そして今、もう一つその女の子の話す姿から思い出されるのは、同じく祖父江さんの次の言葉です。

「子どもたちはどんな悲しい親であっても、でもやっぱりその人を許し、包んでいるのです…。」

やっぱりこの言葉が、その女の子の胸の中にも感じました…。

▼最後に、次頁の「ぼくの生まれた日」をいただきたいと思います。

 

ぼくの生まれた日
 
 扱い込まれそうに青い空でした。「ぼくが生まれてくるとき、どんなだったの?」半身を起こしただいすけくんが、私の視界いっぱいに顔を近づけて言いました。「たいへんだったんだよ。みんな、大忙しだった」「大忙しだったの? ぽくのお父さんと、お母さん?」「君のお父さんとお母さんも大忙しだった。けれど、ほかのみんなが、もっと、もっと大忙しだったんだよ」「お父さんとお母さんだけとちがうの?」「君のお父さんとお母さんの大忙しは、みんなに頼んでまわることだったんだ」「頼んでまわったの?」「頼んでまわったさ。お父さんとお母さんのところに、赤ちゃんが生まれてきます。どうか、仲良ししてやってくださいって、みんなに頼んでまわったさ」「みんなに?」「みんなにさ。君より先に生まれていたみんなにだよ」「園長すけにも? 先生にも?さっちゃんにも、ひろくんにも?」「ああ、みんなにだ。人間だけとちがうのだよ。犬さんにも猫さんにも、雀さんにも、虫さんにも、草さんや木さんにもだ」「象さんにも?」「そうさ。キリンさんやカバさんやライオンさんにも頼んだのさ」「お魚さんにも?」「頼んださ。だいすけくんが赤ちゃんになって生まれてきます。どうか、仲良ししてやってください」「そうしたら?」「みんな、大忙しになった」「みんな、大忙しになったの?」「なった、なった。たいへんな大忙しだ。会議、会議、で大忙しだ」「会議、会議?」「そうさ。だって、だいすけくんがどんな赤ちゃんか解らないもん。やさしい子だったらいいけれど、先に生まれているものをいじめる子かもしれないもん。いじめられたらたいへんだ。だから、一生懸命の、大忙しの会議だった」「それでぼく、生まれたの?」「そうだ。みんなが、生まれてきていいよって言ってくれたんだ。この赤ちゃんは、やさしい子になってくれるだろう。生きているみんなを大切にする人間になってくれるだろう。みんな、そう思ったんだ。そう思ったから、パチパチって拍手したんだ。おめでとうって、言ったんだ」「良かった」だいすけくんは、頭の下に手を組んで半身を倒しました。コスモスの花が揺れ、蜂の羽音が聞こえました。

『季節を動かすこどもたち』祖父江文宏著

 


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