テーマ 2020年 報恩講法要のご案内(200座)

2020(令和2)年11月1日

報恩講法要は一年で、もっとも大事な御仏事です。
どうぞ、お参りくださいますようご案内申し上げます。
合掌

 

法要式次第

十一月二十日(金)
■午後一時半 初逮夜 
 正信偈 真四句目下(同朋唱和) 
 念仏讃 淘五
 和讃 弥陀成仏のこのかたは 次第六首
 回向 我説彼尊功徳事
 映像 『節談説教 正信偈』 第一座「三願転入」拝鑑 

十一月二十一日(土)
■午前六時半 晨朝 
 正信偈 中読(同朋唱和) 
 念仏讃 淘五
 和讃 道光明朗超絶せり 次第六首
 回向 世尊我一心
 御文拝読 『中古以来』 澤面宣了氏(当寺)
 法話 高山崇氏(山階 圓乗寺)

■午前十時 日中
 正信偈 真四句目下(同朋唱和) 
 念仏讃 淘五
 和讃 光明月日に勝過して 次第六首
 回向 願以此功徳
 御文拝読 『御正忌』 澤面宣了氏(当寺)
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

■午後一時半 大逮夜
 正信偈 真四句目下(同朋唱和) 
 念仏讃 淘五
 和讃 五十六憶七千萬 次第六首
 回向 我説彼尊功徳事
 御文拝読 『聖人一流』澤面宣了氏(当寺)
 感話 澤面宣了氏(当寺)
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

十一月二十二日(日)
■午前六時半 結願晨朝
 正信偈 真読(同朋唱和) 
 念仏讃 淘五
 和讃 南無阿弥陀佛の廻向の 次第六首
 回向 世尊我一心
 御文拝読 『鸞聖人』 澤面章氏(当寺)
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

■午前十時 満日中
 正信偈 真四句目下(同朋唱和) 
 念仏讃 淘五
 和讃 三朝浄土の大師等 次第三首
 回向 願以此功徳
 御文拝読 『御俗姓』澤面宣了氏(当寺)
 感話 澤面宣了氏(当寺)
 法話 高橋法信氏(大阪 光徳寺)

 

子ども報恩講

11月22日(日)9:15〜


●持ち物 念珠 おつとめの本 お花
●日程 衆会(集合)   
    来た人から焼香
    真宗宗歌
    ちかいのことば
    『正信偈』のおつとめ
    『その人親鸞』拝読(4頁参照)
    法話 住職
    献花(満日中で)
    解散(10:10頃)

 

その人親鸞  金子大栄

昔 法師あり 親鸞と名づく
殿上に生まれて 庶民の心あり
底下となりて 高貴の性を失わず
已にして愛欲の断ち難きを知り
俗に帰れども 道心を捨てず
一生凡夫にして 大涅槃の終りを期す
人間を懐かしみつつ 人になずむ能わず
名利の空なるを知り 離れ得ざるを悲しむ
流浪の生涯に 常楽の故郷を慕い
孤独の淋しさに 万人の悩みを思う
聖教を披くも 文字を見ず
ただ 言葉のひびきをきく
正法を説けども 師弟をいわず
ひとえに 同朋の縁をよろこぶ
本願を仰いでは 身の善悪をかえりみず
念仏に親しんでは 自ら無碍の一道を知る
人に知られざるを憂えず 
ただ 世を汚さんことを恐る
己身の罪障に徹して 一切群生の救いを願う
その人逝きて 数世紀 
とこしなえに死せるが如し
その人去りて 七百年 
今なお生けるが如し
その人を憶いて われは生き
その人を忘れて われは迷う
曠劫 多生の縁 よろこびつくることなし

 

編集後記

「部落差別問題等に関する協議会」(次頁参照)でオンラインですが、なつかしい方々にもお会い出来て本当に嬉しかったです。逆に言えばコロナによって私もこのところ寂しい思いで一杯でした。このような状況にありますが、浄願寺報恩講法要は通信のようにお勤めさせて頂きます。無二の法座に皆様と是非ともお会いさせて頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

 

■去る10月1日、被差別の当事者との交流を深めながら、各教区で解放運動にたずさわっておられる方々との共有を願いに、「部落差別問題等に関する協議会」が開催され、私も長浜教務書(ZOOM 会議)に参加させて頂きました。以下が開催趣旨文です。 

 私たちの宗門は、『仏説観無量寿経』における「是旃陀羅」の語に関し、1922年の全国水平社創立当初から、その差別性について指摘を受けてきました。その後、宗門内で惹起した差別事件ヘの糾弾を機縁として検討や研究を行ってきました。しかし、教化の現場において、インドのアウトカーストとして差別されている人々をさす「旃陀羅」の語を解説する時、現実に差別に苦しむ人たちが存在することを思い描くことなく、日本の部落差別を象徴する「穢多・非人」という言葉を用いて無批判に譬えてきたこと、さらには、宗門の字解において、被差別の当事者たちを暴虐な人間であるように説き、差別を強化・固定化してきた罪責を、宗門に身を置く私たち一人ひとりが十分に受け止めることができませんでした。2013年1月、『現代の聖典 学習の手引き』に対し、部落解放同盟広島県連合会から厳しい問題提起がなされました。この問題提起を受け、宗務所に「部落差別問題等に関する教学委員会」を設置し、「是旃陀羅」の語に関して、真宗学・仏教学・歴史学・部落史等の見地から教学・教化の課題についてまとめられた報告書が、2016年6月に提出されました。この報告書に示された課題を宗門全体で共有すべく、「教学会議」において施策の方向性が示され、その実働に向けて、これから歩みだしていく時期であります。これまで解放運動推進本部では、各教区や組において学習会を開催し、課題の共有のため多くの方々にご参画いただき、様々なご意見をお寄せいただきました。さらに、この問題の施策構築について、内局に助言・提言を行う解放運動推進本部非常勤嘱託(前・企画調整局参事)や全国で教学に携わる方々と協同して議論を醸成する体制づくり、解放運動推進本部を中心に宗務所内の関係部署と連携した「是旃陀羅」の課題に関するプロジェクトチームを始動しています。「是旃陀羅」の問いかけは、部落差別の現実に無自覚である自身の姿を明らかにします。それは、難波別院輪番差別事件を契機とし、全推協叢書『同朋社会の顕現』差別事件まで通底する糾弾の歴史を持ちながらも、糾弾を自身の課題とできていなかったことの表れであり、私たちの差別体質の根深さを物語っています。今、差別からの解放を願う声は、本当に親鸞聖人を「宗祖」と仰ぐような念仏者としての生活になっているのかを問うています。それを確かめるために、教区で解放運動にたずさわっておられる方々にご協力いただき、「部落差別問題等に関する協議会」を開催し、宗派の方向を定め、被差別の当事者との交流を深めながら、宗門にかかわるあらゆる人々とともに、この課題と施策の方向性を共有したいと思います。そして、私たち一人ひとりが方便真実の教として『観無量寿経』をいただく歩みを宗門全体で進めてまいる所存です。

■最後に協議会に提出しました私の文章の一部を掲載させて頂きます。(略、訂正あり)

是施陀羅の言葉の削除に対して色んな意見がありますが、正直、どれもこれも痛くもかゆくもない人(特に僧侶)の意見にしか聞こえません。しかしその中で、

「痛い」と声を上げた人に出会うことが不可欠であり、痛みを与え、作る者である自覚と謝罪を通して文言の削除等がその表現としてなされるのであれば、大きな意味はある。『身同23頁』

この言葉が私自身一番響いた言葉です。そこへ帰り、そこから歩むことを大切にしたいと思います。

 


▼浄願寺通信一覧に戻る

 

<<前のページ | 次のページ>>