テーマ 同朋(どうぼう)2(247座)

2024(令和6)年10月1日


 

住職記 同朋(どうぼう)2  

■日光東照宮の神厩舎(しんきゅうしゃ)にある三猿。これは子ども猿がやがて母親猿になる過程が8面に渡って掘られています。
(下画像)

 


 

■1面目には手をかざした母親猿が子ども猿の未来を願い、悪いものは見ない、言わない、聞かないようにと純真な子ども猿に教えます。
(下画像)

 


 

■2面目はその「見ざる、言わざる、聞かざる」に励む子ども猿です。(下画像)

 


 

■3面、4面では思春期独特の悩む青年猿になり、5面では挫折する猿と励ます猿から、6面から8面にかけての最後はパートナーと会い母親猿になります。そしてまた1面に戻ります。
■これは人生、そしていのちの連続性を表しているといわれます。
■しかし8面の中で、2面の「見ざる、言わざる、聞かざる」があまりにも目立っているため、これは出来るだけ波風を立てず、うまく生きていくためのその術として、受け止められているのではないでしょうか。もしもそれだけなら無関心な傍観者が増えるだけのことであり、この8面は決してそうではありません。
■あらためて1986年、エリ・ヴィーゼルのノーベル平和賞を受賞した時の次の言葉が思い起こされます。

愛の反対は憎しみではなく、無関心です。
美しさの反対は醜さではなく、無関心です。
信仰の反対は異端ではなく、無関心です。
人生の反対は死ではなく、生と死の間の無関心です。
エリ・ヴィーゼル

■そこに「信仰」とありますが、まさに仏教は無関心の「見ざる、言わざる、聞かざる」を説くのではありません。
■五念門の中に阿弥陀仏の浄土に往生するための観察(かんざつ)という行があります。それは「見よ」なのです。
■また、『蓮如上人御一代記聞書』(真宗聖典871・第二版1043頁)の中にあ る「物をいえいえ」の言葉の通り、蓮如上人は徹底して「言え」なのです。
■そして親鸞聖人が「仏の名(みな)を聞くべし」『教行信証』(真宗聖典173頁・第二版188頁)と言い切られるそれは「聞け」なのです。
■親鸞聖人が大切にされた同朋の「朋」という字は貝殻が2つ吊されている象形文字です。貝殻は貨幣であり無上の値打ちを表しています。それは「見ざる、言わざる、聞かざる」ではなく、人と人とが出会い、相手の人を「見つめ、語り、聞く」ということがこの字であると思います。だからこそ親鸞聖人はこのかけがえのない出会いを値う(もうあう)と表現されています。
■しかし悲しいかな、私たちの現実は「見つめ、語り、聞く」ということでいよいよ迷いを深めてしまいます。だから時に逃げ出して「見ざる、言わざる、聞かざる」をやっぱり選んでしまいます。日光東照宮の3面からのように、やはり人生に悩み苦しみ、そして挫折するのです。

 

■ところが5面の挫折する猿の隣にじっと寄り添う猿がいます。
(下画像)

 


 

そしてそれ以降の場面に表されているのは出会いなのです。実はここに感動があり、誰の心にも響いてくるのではないでしょうか。
■重ねて次の文章を頂きたいと思います。

すべてを切り離して己だとか私だと自分を捉えようとしていたことも違っていた。エピソードとして浮かび上がってくる写真は、すべて感情で束ねられたものである。そして、その感情は必ず誰かと一緒だったんです。ですから、一人の写真は何処を見てもないんです。ということは、私はひょっとすると他の人、あるいは人というよりはもっと大きな、それが飼っていた犬であったり、あるいは感動を受けた花であったり、山であったり、風景であったり、そういう様々なもの、つまりそれを大きくいのちというような言い方をしたら、私はそのいのちの関わりの中の私でしかなかったということを思い知らされました。どこをとっても、切り離した己というものはなかったのです。どの写真を見ても、私は私一人ではなかった。

  (中略)

そういう中で私はいま、こうしてここに来てあなた一人に出会うということができました。これは私にとっては、あなたに出会うことによって祖父江という人間がここに生きているという証が得られるということであります。私が私であるという確証は、あなたに出会ったということだろうといまは言えるように思います。一人で生きるということはないのです。人はいつもいのちとの関わりの中で私であるのです。そのことをつくづくといま思います。
『悲しみに身を添わせて』祖父江文宏著

■「私は私一人ではなかった」と祖父江文宏さんも「朋」の世界を語られているように思います。2つである貝殻の1つは

「あなた」

そしてもう1つは

「私」

「私が私であるという確証は、あなたに出会ったということ」である…と、ずっと私たちに呼びかけてくださいます。

 

編集追記

▼先の『悲しみに身を添わせて』の中の言葉は、祖父江文宏さんが肺の機能の85パーセントを失い、酸素ボンベを持って車椅子という姿で語られた講義録です。その音声から聞える大変な息づかいが今も忘れられません。亡くなられる約2ヶ月前のまさに遺言でした。

▼祖父江文宏さんは暁学園の園長先生ですが、子どもたちからは「園長すけ」と親しみを込めて呼ばれていました。決して先生と生徒、大人と子ども、教える者と教えられる者という上下、縦ではない、水平なる「同朋」の世界を生きられた人でした。

▼以前の244座に引き続き、長文となりましたが「同朋」について書かせて頂きました。
合掌

 

表紙

●永代経 兼 彼岸会法要が勤まりました。

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3頁

●朝野温知さん 長浜市巡回パネル展に出席しました。

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