テーマ おもいで星がかがやくとき(246座) 

2024(令和6)年9月1日


 

表紙

▲今年の蟲供養(※下参照)の上映会は『おもいで星がかがやくとき』(刀根里衣著)でした。本文中の言葉の漢字の変換や表現の違う部分がありますが、ここにあらすじを掲載させて頂きます。とても心に染みるおすすめの絵本です。(文責住職)

あの日、その人はピナをおいていなくなってしまいます。その人はお星さまになって見守っていると聞きました。「わたしのお星さまはどこ?」ピナは、かつて二人で訪れた場所を必死に探します。しかしその人はどこにも見つかりません。そして最後に行き着いた木のてっぺんで、夜空に輝く星たちから次のように告げられます。

★一番星は「よく聞いて。あなたが探しているその人はもうどこにもいないの。でもね、その人はあなたにかけがえのない思い出を残してくれたの」
★二番星は「だから二人の話を私たちにも聞かせて。その人が生きていたことをあなたといっしょに感じることが出来るから」
★三番星は「あなたは、その人がこの世に生きた証。あふれる思い出で大切な人を照らし続けてあげて」

いつのまにかピナのまわりには「君はひとりじゃないよ」「ずっとそばにいるからね」「だいすきだよ、ピナ」と言う仲間がいました。ピナは小さくうなずいて、胸にしまっていた思い出を心にうかべては静かに涙を流しました。するとそれらは星のように光輝いて、明るく、やさしく私と仲間のいる世界を照らしました。

夜空に輝くたくさんのおもいで星。「私はあなたを忘れない」

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夏中さんが勤まりました。

▲暁天講座

夏中(げちゅう)は釋尊がご在世中、僧侶が一定期間、ひとつに集まって修行する夏安居(げあんご)に由来するといわれています。しかしそれ以上に私は「夏中さん」と愛着を込めて呼び、昔は五村別院の境内にも賑々しい露店が並ぶ琵琶湖の夏の風物詩にまでなった、ここ湖北の御仏事であると感じています。それこそ、民衆の中で生きられた蓮如さんを慕い、遺言ともいわれる「夏の御文」を頂き直そうとされた人々のお講であると頂戴しています。
尚、夏中 長浜別院、五村別院の暁天講座の8名の講師の方々とは、共学研修院で共に学ばせて頂いています。(住職)

 

8月5日〜8日、五村別院に於いて夏中さんが勤まりました。
ここに法話の聞き取りメモを掲載させて頂きます。(文責 澤面)

晨朝・暁天講座(法話1席) (共学研修院生の方々)
▼5日 藤本智さんよりひと言(長浜第21組浄福寺)
●仏法聴聞を大切にしてきた親の姿があります。
●分からないことは必ずしも恥ずかしいことではない。
●自分の言葉で人に伝えるという貴重な場を頂いている。

▼6日 増田和佳子さんよりひと言(長浜第16組誓傳寺)
●70代、80代、90代の方々の背中を見せることの大切さを感じる。
●父が残してくれた財産は門徒さんです。
●この私を見守ってくださる場がある。

▼7日 曽我朋子さんよりひと言(長浜第12組等倫寺)
●死んだらどうなるのだろうか…というのが小学生の頃に抱いた問い、恐怖心でした。
●ただ念仏で救われるという教えに、正直私はそんなことがあるのかと思ってしまう。
●お念仏との出遇いにいつも祖母のことが思い出される。

▼8日 伊吹勇真さんよりひと言(長浜第21組願正寺)
●法事の時も、門徒さんは父と同じように私に接してくださった。
●頭を下げると頭が下がるでは見た目は同じでも、
している本人の内心は全く正反対。
●明日の予定より今の一瞬。カレンダーの先の予定より、日めくりカレンダーのような私のいのち。

勤行・夏の御文(法話2席)
▼5日 竹中慈祥さんよりひと言 (長浜第12組真廣寺)
●現代は不寛容の時代、クレイマー社会。
●私の中は偏りだらけです。
●二河白道の譬えにある群賊悪獣とは昨日までの友達。

▼6日 山田孝夫さんよりひと言(長浜第21組禮信寺)
●すべて人は自分のフィルターを通して聞いている。
●仏法は腹に落ちるのではなく、腹が落ちるのである。
●愚に還れ。

▼7日 伊藤慈成さんよりひと言(長浜第13組真入寺)
●私は旧長浜教区の伝統である日曜学校を最も大切にしたいと思っています。
●「差別化」「純日本人」という言葉に強く違和感を感じる
●親鸞聖人が敬われたのは御同朋・御同行の世界に尽きる。

▼8日 笠原俊典さんよりひと言(長浜第15組持専寺)
●仏法僧の僧は僧侶だけを指すのではなく集まりである。
●人間は思っているほど自分を知らない。
●身の置き所のない痛みに苦しんでいる人がおられます。

 


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