テーマ 大切なもの(43号)

2005(平成17)年7月1日


住職記

6月19日、兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で不通になっていた宝塚−尼崎間が運転再開された。ここに、朝日新聞に投稿された芹田希和子さんの2通の文章を紹介します。この方は、今回の脱線事故、そして、神戸での震災のことをも通して書かれています。「大切なもの」を見失い、ひたすら、速さ・効率を求めてきた私たち…。今、一人ひとりがそのことを考え直す時だと思います。   
                                                          速さを求めた我々にも責任 芹田希和子(神戸市中央区 主婦65歳)
2005/ 05/ 08朝日新聞より

「私、脱線事故のあったJR宝塚線の快速にいつも乗っていたの」と、友人が言った。「だからあの日からなんだかつらいの。私にも責任があるような気がするのよ」
「なぜあなたに責任が」と問うと、彼女は言った。
「前は並行して走る阪急宝塚線に乗っていたけどJRに変えた。速いし、尼崎駅に着くと同じホームで乗り継ぎ電車が待っていて便利だから」
「でもみんながそうやって、もっと速く、もっと安く、もっと便利な方を選ぶから、会社は競争に勝つために安全を犠牲にしてまで追求することになる」
「その結果が、軽い車両、若くて経験の浅い運転士の勤務、1分の遅れも許されない高速運転になってしまった。私たちみんなが、とめどなく急いでいるせいなのではないかしら」
あっと思った。「私たちはこんな走り方をしていいのか。JRに問題があるのは事実だが、我々自身の姿勢も問い直さねばならないのではないか」と。そうすることが亡くなられた方々の犠牲を無駄にしないことになるのかも知れない。

「大切なもの」問い続け 芹田希和子(神戸市中央区 主婦65歳)
2004/ 12/ 18朝日新聞より

毎年、年賀状を書く時期になると、96年の賀状を取り出して眺めます。震災の翌年の我が家の年賀状にはこう書いてあります。
  “私たちは問いかける
   あの日以来毎日問いかける
   これまで何を大切にしてきたのか
   これから何を大切にして行くのか”
これは昨年秋の高校総合文化祭で神戸の高校生が歌った合唱曲「街よ」の一節です。
神戸はまだ痛ましい姿ですが大切なものを見つめ直した人々の静かな勇気が満ちているようにも感じられます。この街で、この1年の日々を大切に歩いていこうと思います。
そして10年が来ようとしています。「これから何を大切にしていくのか」という問いの答えは、あの日々、見えていた気がします。震災4日目、ようやく一部運行した市バスの中の人々を思い出します。みんな買い出しのリュック姿。大渋滞でノロノロ進む満員のバス。座っている人は「どうぞ、載せて、載せて」といくつものリュックをひざに積み、立っている人は前の人の背中の重いリュックを手で支えてあげていました。誰もが親しい友達のように語り合っていました。水のない暮らしの工夫、パンを買える店の情報、崩れる家から逃げた恐怖。大切な友人を亡くしたと涙する人を慰める人。あの時そこには確かに「大切なもの」があったと思います。10年たち、街は新しくなり、もうバスの中で隣の人とは話さなくなりました。でも、この街で私たちは「大切なもの」を一度見つけたはず。新たな気持ちで、また「あの日以来毎日問いかける」を続けていこうと思っています。

編集後記

▼前の車がぼんやりしてか、信号が青になっても、なかなか発車しません。あなたなら、何秒、我慢出来ますか。
▼私は、五秒、いや、三秒…。わずか数秒待てない(これは数病という病でしょうか?)そんな運転手の私もやはり、今、「大切なもの」を問い直さねばなりません…。


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