土徳という言葉があります。お念仏の信心のあつい土地の風土をさして、そう言われてきました。そのお念仏の風土を代表するのが、秋から冬にかけての報恩講です。宗祖親鸞聖人のお徳をしのぶ法会(ほうえ)が家々でも勤まり、精進料理による伝統の会食が伝えられてきました。例えば吉野(奈良県)の山村の在家報恩講の献立は、一汁三菜です。お平の煮物の盛りつけに、ひとつの形があります。ふたをとると、いちばん上にシイタケがのっていて、その下にニンジン、ゴポウ、ヤマイモがならび、底に三角形のアブラアゲが敷かれています。この形に意味があるのです。関東を徳化(とくか)されていた頃の親鸞聖人のお姿なのです。
シイタケば笠
ゴポウは杖
アブラアゲは袈裟
と村の古老は説明してくれます。
ヤマイモは石
聖人が寒夜、路傍の石を枕に寝(やす)まれたという有名な伝説の、その石です。そして
ニンジンは、手足のアカギレの血。
晩秋から真冬にかけての念仏の集会のぬくもりの中で、このようにして
「御開山(親鸞聖人)のご苦労」
をしのぶのです。つい2、30年前まで、この地方のお惣菜は、ほとんどを自給してきました。だから山の斜面には、色とりどりの野菜畑がならんでいました。これらの野菜を植えつけるとき、人々の念頭には報恩講の用意がありました。お斎(会食)に招く客の顔ぶれを思い浮かべながら、種を播いたといいます。秋の報恩購の準備が春からはじまっていたのです。こうして、親鸞聖人が凍土についた杖(ゴボウ)も、枕にした石(ヤマイモ)も、アカギレの血(ニンジン)も、山村の畑のなかでゆるゆると育っていきました。
「あんじょう、しちょおくなはって」
報恩講のお斎に招かれた客は、お平のふたをあけると、まずそのようにほめる。標準ことばに直すと
「よくもまあ、うまい具合いにしてくださって……」
と言うところでしよう。このシーズン、招かれた客にとって、言葉は悪いが食べあきるほどの献立です。が、言うほうにわざとらしさはありません。それは、調理の妙をほめているのではなく、ゴボヴやニンジンがうまい具合いに育ってくださって、という恵まれていることに対する、感謝のことぱでもあったのです。
↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用
▼住職から最後のひと言
「報恩講」は真宗門徒にとって、一番大切な御仏事です。