●Q(問)
なぜ、友引に、お葬式を出してはいけないのですか?
●A(答)
お葬式の、出せない日などありません。迷信にまどわされて、出さない私がいるだけです。いつでもさしつかえありません。友引を斎場の休日とするのは間違いです。友引とは、六曜のひとつです。室町時代に中国から渡来したときには、
大安(たいあん)
留連(りゅうれん)
速喜(そっき)
赤口(しゃっく)
小吉(しょうきち)
空亡(くうぼう)
でしたが、
江戸時代の寛政、亨和になると、 ・
泰安(たいあん)
流連(りゅうれん)
則吉(そっき)
赤口(しゃっく)
周吉(しゅうきち)
虚亡(きょぼう)
と変わり、また、同じ時代に、
大安(たいあん)
友引(ゆういん)
先勝(せんしょう)
赤口(しゃっく)
先負(せんぶ)
仏滅(ぶつめつ)
となって、はじめて「友引」という曜日がでてきます。現在では、さらに順序も変わり、
先勝(せんしょう)
友引(ともびき)
先負(せんぶ)
仏滅(ぶつめつ)
大安(たいあん)
赤口(しゃっく)となりました。
旧暦1月1日に先勝を当て、2月1日に友引を当て、3月1日に先負を当てるといったように、順送りをし、月末の六曜の余りは、切り捨てるといった方法で配当してあります。その上、文字をこじつけて、
「日に吉凶がある」
とまで、言うようになりました。友引は、初め、ともに退くということから、引き分けという意味で用いられていました。やがて
「友を引く」
という語呂あわせから、俗信、迷信となりました。いずれにしても、曜日をあらわすことに変わりはなく、現在の、日月火水木金土という、七曜と同じ意味でしかありません。ご先祖は、いのちをかけて、いのちの儚さを教え、その儚いいのち生きるわれらに、
「今こそ、正しい教えを聞きひらけ」
と呼びかけてくださっているのです。その厳粛な葬儀の場を俗信、迷信によって台なしにすることは悲しむべきことです。
「友引には、葬儀が出せない」
のではなく、
「友引には、葬儀を出さない私がある」
のです。日に善し悪しはありませんという仏の教えよりも、友引には葬儀を出してはいけないという世間の、俗信、迷信にふりまわさる私こそが、今、問われているのです。
↑『真宗門徒になるための本』真宗大谷派大垣教区出版委員会より引用