テーマ 真宗のお寺に、なぜお守り札がないのですか?(13号)

2000(平成12)年7月1日


表紙

●Q(問) 
真宗のお寺に、なぜお守り札がないのですか?

●A(答) 
真宗門徒は、祈願を必要としないからです。神仏のお守り札とは、肌身離さず身につけていると、そこに書いてある願い事が成就すると思われているものです。家内安全、商売繁盛、無病息災、入試合格、交通安全など、私たちの願い事は、日常生活のなかで数限りなくあります。これらの願い事の成就を祈願して、お守り札があるわけです。

しかし、人間の勝手な注文を聞いてくださる神仏が、本当にあるのでしょうか。
交通安全のお守り札をつけた自動車は、絶対に事故を起こしませんか。
入試合格のお守り札を身につけた受験生は、全員合格しますか。

真宗門徒は、神仏への願い事(祈願)をしません。それは、自分の欲望から、神仏を利用しようとする間違った心であることを知っているからです。すでに、本願の教えを聞いて阿弥陀仏のはたらきのなかに生かされていることを知っているからです。私たちは自分で生まれようと思って、生まれてきたのではありません。気がついたら、すでに生まれていました。家族や友達も、出会おうとして出会ったのではありません。老化や、病気や、怪我や、死は、迎えたくなくても迎えなければなりません。阿弥陀仏から願われて、生かされていると自覚するのが真宗門徒です。自分勝手な注文ばかりして、お守り札に気やすめを求めるのは、あるがままの事実を受け止める自信がないからでしょう。

自分の欲望を満たすために神仏を利用することは間違っています。

真宗門徒には、お守り札は必要ありません。だから、真宗のお寺にお守り札はないのです。教えを聞いて、阿弥陀仏の智慧をいただき、あるがままの事実を受け止めることができた人は、自分勝手な人生観や幸福観に気づき、お守り札を必要としない真に生きがいのある人生を生きることができます。

↑『真宗門徒になるための本』真宗大谷派大垣教区出版委員会より引用


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