テーマ 葬儀の時、なぜ神棚に白紙?(12号)

2000(平成12)年5月1日


表紙

師走は一年の総決算と新しい年を迎える準備で、日ましに気ぜわしくなっていきます。知りあいに、年末になると毎年のように悩む、という人があります。悩みというのは、古くから家にある神棚です。真宗の家に神棚はおかしいから、年末の掃除のときにはとり除こうと思うのだが、結局はもう一年、そのままにしておこう、ということになるらしいのです。この人の代になってから普段、お供えもしないし拝む者もないから、いつ片づけてもいいのですが、なかなか踏み切れないといいます。だから、このままだと家に大工さんが入るようになるまで、そのままでしょうね、とその人は苦笑していました。真宗は

「弥陀一仏」

の教えだから、ご本尊の阿弥陀如来以外を礼拝の対象としません。したがって、神様のお舘である神棚も、無用です。 と言っても、このように昔から先祖が崇めてきた神棚が残っている場合、現実問題として、むげに祖大ゴミに出してしまうのもはばかれる、というケースが多いでしよう。

これについて、ある仕事でおめにかかったご婦人から、感動的な話を承ったことがあります。岐阜県の山村に住む旧家の主婦がその人です。生家は教派神道系教団の信者だったから、嫁いで来てしばらく、お仏壇がこわかったといいます。そのご婦人が聞法の生活に入って、真宗の家になぜ神棚があるのかと疑問に思い、ご主人と話していたら、おろそうか、ということになりました。そのときの話です。神棚についてお姑さんとも話しあっているうちに、つい、こんなが大胆なことを言ってしまいました。

「お葬式のときに、神棚には紙を貼るのよ。おばあちゃんが死んでも、紙を貼られるのよ。人間の生死という大事のときに、見たくないと言って、かくれてしまうのが神様なのよ」
 
真宗の家に神棚はまつらない教えと、地元の風習と人情論が入り混じり、現実的に解決の難しいものですが、取り組みようでは、真剣な聴聞に入る、いとぐちがあることをご婦人に教えてもらいました。
●真宗の家庭では、神棚は不要です。

↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用


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