テーマ 法名と戒名、どう違う?(11号)

2000(平成12)年3月1日


表紙

こういうコーナーとしては、いささか不謹慎かも知れませんが、テレビで漫才を見ていて、思わず噴き出した話題から始めます。食べ物の話でした。鍋ものがよろしい、というやりとりがあって、その材料がカシワ。カシワとは何であるか。「鶏の肉である」。鶏がなぜカシワか。「生きている間は鶏、死んだらカシワ」。ははあ、ではカシワとは鶏の戒名であるか。「さよう、ジンギス汗鍋のマトンも羊の戒名である」

戒名とは死者にあたえられるもの、という誤った合意が、あっけらかんと通用している点がおもしろく、また、仏教徒として大いに反省を求められている誤解点を、見事に指摘されたといってよいでしよう。戒名とは、字義どおり「戒の名」です。仏門に帰依したものがまもるべき、五戒、十戒、具足戒、菩薩戒などの儀式を受けたときにあたえられる出家名です。このように、戒名は決して死者にあたえられる名ではなく(もちろん、生きているあいだに仏門に帰依して)まもるべき戒律にしたがっている出家者の名にほかありませんでした。だから、真宗門徒に「戒名」はありまん。五戒、十戒はおろか、なにひとつきびしい戒律をまもって仏道修行を積むことのできない凡夫のこのままが、弥陀如来のおはからいによって救われ、救われるよろこびのお念仏の在家生活だから、戒名をいただく要もないのです。そこで、門徒として在家生活のまま仏門に帰依したという自覚の生活に入る帰敬式(ききょうしき)(おかみそり)を受けます。帰敬式は、本山で毎日、行われているから、おまいりすれば誰でも受けられます。このときに「法名」をいただきます。だから法名は「死後の自分の名」として、あとあとにそなえるのではなく、仏教徒たる自分の名として日常に思い起こして、お念仏をよろこぶ生活を送っていただきたいのです。このように、法名は門徒としての生活の証です。したがって、生前、帰敬式を受ける機会にめぐまれなかった人のために、死後、ご住職が「お手がわり」としておかみそりの儀式をとり行い、法名が贈られているのは、やむを得ず、という前提に立っているのです。

●真宗では「法名」といいます。生前に真宗門徒としての証としていただくものです。

↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用


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