テーマ 三帰依文(19号)

2001(平成13)年7月1日


表紙

三帰依文(生きることの三つのよりどころ)は、江戸末期の仏教学者、大内青巒(おおうちせいらん)の制定による。

●ひとりで拝読
人身(にんじん)受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。この身今生(こんじょう)において度せずんば、さらにいずれの生(しょう)においてかこの身を度せん。大衆(だいしゅう)もろともに、至心に三宝(さんぼう)に帰依し奉るべし。
『法句経』より

●皆で拝読
自ら仏に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大道(たいどう)を体解(たいげ)して、無上意(むじょうい)を発(おこ)さん。
自ら法に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、深く経蔵(きょうぞう)に入りて、智慧(ちえ)海(うみ)のごとくならん。
自ら僧に帰依したてまつる。まさに願わくは衆生とともに、大衆を統理(とうり)して、一切無碍(いっさいむげ)ならん。
『華厳経』より

●ひとりで拝読
無上甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あいあ)うこと難し(かたし ※がたしとならないように)。我いま見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得たり。願わくは如来の真実義を解(げ)したてまつらん。
『法華経』より


★意訳★『いのち』真宗大谷派児童教化連盟より
人間として、この世に身を受けるのはむづかしいが、今すでに生命(いのち)を得た。仏法にめぐりあうことはむづかしいが、今すでに出会い聞くことができた。この自分が生きている生涯において、私が救われなければ、どれほど生まれかわって迷いからめざめるというのだろう。だから、人々と共に心から、仏・法・僧の三宝を尊びよりどころにして生きることを誓います。

わたしは、仏(ブッダ)を敬いよりどころにしていきてゆく。だから、どうか人々と共に真理の法を説かれた仏の正しい道を体得し、人間を成就する大いなる心をおこしますように。

わたしは、法(ダルマ)をよりどころにして生きてゆく。だから、どうか人々と共に真実の教えを深くたづねて、海のような無限の智慧を求めていきますように。
 
わたしは、僧(サンガ)を敬いよりどころにして生きていく。だから、どうか人々と共に仏道を歩む人びとが道理によっておさめられ、自由で平等な交わりをめざしていけますように。
 
この上なく奥深くすばらしい真実の法は、どれほどの長い時の流れを経ても、めぐりあうことはむづかしい。にもかかわらず、わたしは今、ここに見聞きし、出会うことができた。どうか、ねがわくば、如来(みほとけ)の真実の教えの意味がほんとうにわかるように聞きつづけていくことを。


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