テーマ なぜ、お香をたく?(21号)

2001(平成13)年11月1日


表紙

 かつて父親から勘当を言い渡された次男坊が、その父親の仏事を独自につとめるときの話です。法要に先立って、その人が大東市(大阪府)のあるお寺に相談に出向いたとき、住職のIさんは、お香だけは特にぜいたくをしてほしいと言われました。
 つまり、飛び切り上等のお線香と沈香を用意してほしいということです。
 指示どおり、次男坊はもっとも高価な香を求めて当日を迎えました。法要に先立って、彼はお線香の封を切り、お仏壇におあかりをともし、お線香をあげて、I住職に読経のお願いをしようとして、ふと動作をとめました。
 「ご院さん、いかにもええ匂いですな」
 I住職も、一旦立ち上がりかけた動作をやめ、おまいりしている家族やきょうだいを見渡して、
 「みんなも匂うでしょう」
 とたずねる。仏事はあくまでも厳粛でなければならないという前提からすれば、やや型破りな情景かも知れませんが、一同は神妙に鼻をうごめかし、やがて、いい匂いであるという感嘆をくちぐちにもらしはじめました。そこで、住職は言いました。
 「ええか、お香は一つや、それを七人なら七人が全部、ええ匂いやと喜ばしてもろうとる。一つのお香を七分のーずつ分けとるのやない」。
 もっとも、もっとも、という顔で一同がうなずきました。そこで、住職は、あらためてその日の主役の次男坊の方に顔を向けて、こう言葉を継いだのです。
 「親の愛情も一緒やないか。三人きょうだいなら三分のーずつ、という数字の世界は、親子の間には通用せえへん。みんなに同じように行き渡っている。如来さまのお慈悲も、おんなじや」。
 読経の前に法話をしたのは、このときがはじめてでしたと、I住職。
●お香は、誰れ彼れの差別なく、すみずみまで行き渡る、仏さまのお慈悲をあらわすものだとも言われます。

↑『門徒もの知り帳』野々村智剣著より引用

▼住職から最後のひと言
本文中は「仏壇」とありますが、真宗では「仏壇」よりも「お内仏」(おないぶつ)と呼びます。


▼浄願寺メモ一覧に戻る
<<前のページ | 次のページ>>