この数年、世の中では「いのち」の意味を考え直さずにはいられないような異常な事件が相次いで起りました。原因は一ロでは言えないでしょうが、共通して言えるのは、豊かな物質文明の裏側にある人間の孤独感や無力感、一人一人の胸の奥にぽっかりとあいたような悲しみが、大きなひずみとなって、これらの事件に現れているように思えることです。誰の心の中にも、孤独感や無力感、そして悲しみはあると思います。しかし、それを誰かのせいにしてうらんだり、他人を犠牲にして目的を達しようとしても、そこにはまた新たな悲しみが生まれてくるだけなのだと思います。この物語を読むと蓮如ほど、「人間が好き」だった人はいなかったと思うのです。共に笑い、共に泣き、どんな人でも包み込んでくれるような大きさ、豊かさを感じます。でも、その蓮如の豊かさは、おそらく悲しんで悲しんで悲しんで…悲しみ抜いた底から生まれ出てきたものなのでしょう。大切なことは蓮如のように、自分自身の心の中にある「悲しみ」から目をそらさず、とことん向かいあっていくことなのではないでしょうか。学校などでも、ともすれば「暗さ」を敬遠しがちな私たちですが「暗さ=悲しみ」と、正面から向かい合った人こそが、人の悲しみを共に悲しみ、また、それを喜びにかえて、他の人にも希望の灯をともせるような明るい生き方ができるのだと思いました。私も蓮如上人のように生きたいと願います。
★「悲しみの底から」野畑智奈美(中学三年生)『蓮如物語』感想文集より
▼住職から最後のひと言
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