私の夢 安田由紀(中学二年)
私は生まれつきの障害者です。(中略)
時々、母さんは私に「ゴメンネ、こんな体に産んでしまって…」っていいます。そんな時、私も泣きたくなります。何も母さんが悪いんじゃない、悪い人なんかいないって思う。(中略)
小学校の時、一度だけ男子に病気のことでへんなあだなをつけられて泣いてしまったことがありました。そしたら私の友達が男子にむかって「今すぐあやまって!そんなこといってどれだけ傷つくかわかる?今すぐあやまって!」っていってくれたんです。私にはこういうやさしい友達がいてくれるから…。だから障害があっても「がんばろう」って思えるんです。
私は小さい時からこういう経験をしているから、将来は絶対、カウンセラーになって、私のように障害を持って生まれてきた人、病気を持っている人の、相談相手になってあげたいんです。その人たちの病気を治してあげることは私にはできないけど、心の支えになってあげたいんです。私、その人たちに「私も生まれつきの障害者なの、小さい時から手術したり、 もうたいへんだった。それにまわりの子たち見て、私だけなんだか違うからいやだなぁとか、なぜ私だけこんな体なのかなぁって思った。でも、いやなことばっかりじゃないよ。私のまわりにいる人みんなやさしかった。もちろんあなたのまわりにいる人も、きっとやさしい人だよ。これから、いいことばっかりじゃない、つらい時の方が、多いかもしれない。でも、大丈夫、あなたには、家族や友達、そして私もついてるから、私たちといっしょにがんばって生きていこう」ってはげましてあげて、その人たちが一生懸命、生きていく中で、すこしでも力になれたら、私すごくうれしいです。
私がみんなからもらったあたたかさを、今度は他の人たちに分けてあげたいと思っています。
「第十三回 少年の主張」滋賀県大会より
▼NHKの「真剣10代しゃべり場」という番組があります。そこで十代の人たちが「私の夢」というテーマで真剣に話し合っていました。終わりの方で、大人であるゲストが「みんな、若いんだから、やりたいこと、やってみろよ」と発言するのに対し、ひとりの若者が「そのやりたいことがわからないのですよ…」と不信感をあらわにして言った場面が、今も心に残っています。しかしそれは、ここの若者に限らず、現代、一人ひとりが同じようなことをどこかで感じているのではないでしょうか。
やりたいことがわからない…。
▼それと比較して思い出すのは、安田理深先生は大谷大学の学生に、よくこんなふうに話しておられたそうです。
社会に出たら、せずにおれないことをしていきなさい…。
▼私にはまだ、この言葉の深い意味がわかりかねるのですが、表紙の文章と重ねてみると、ひとつ思うことがあります。「私の夢」を描く安田由紀さんは、やりたいことというより、せずにおれないこととして、自分の夢を語っておられます。考えてみると、やりたいことというのは、所詮、どこまでも個人的なことでしかありません。それに対し、せずにおれないことというのは、相手から引き出されてくるという、そんな次元のことであり、両者の決定的な違いは、そこに人が見えているかどうかなのですよね。
▼今、安田理深先生と安田由紀さんから、こんなふうに教えられているように思います。
人間というのは、やりたいことがしたいのではなく、せずにおれないことを探しているのです。
▼私も、やりたいことではなく、せずにおれないことに心を向けたい…。この安田由紀さんのような、みんなからもらったことをお互い丁寧に話し合い、聞いていく中にだけ、せずにおれないことのひとつひとつが見えてくるように思います。
▼住職記の中の、真剣10代しゃべり場のゲストじゃないですけど、つくづく、私たち大人というのは、言葉に深みがないように思います。
「夢をあきらめないで…」だの
「どんな時も希望を持って…」だの
もういいかげんにしてくれという声が聞こえてきそうです。番組の中でもそうでしたけど、一度しかない人生、そんな言葉に踊ろされてはいけないと、感性豊かな十代の人たちは、何となく気がついているようです。
▼願わくは、安田由紀さんのような眼と安田理深先生の「せずにおれないこと」という言葉に身を据えることから始めたいと思います。