テーマ 2005年 報恩講(68座)

2005(平成17)年12月15日


表紙

十二月二日(金)から十二月四日(日)浄願寺に於きまして、報恩講法要が勤まりました。ここに写真を掲載し、ご報告させていただきます。
                                                     合掌
               ◆画像をクリックすると大きくなります

↑講師 高橋法信先生(大阪 光徳寺住職)

↑法話をきく私たち

十二月二日(金)午後二時 初逮夜

↑御伝鈔拝読 上巻 澤面宣了(当寺住職)

↑御伝鈔拝読 下巻 澤面章氏(当寺前住職)

十二月三日(土)午前六時 晨朝

↑御文拝読 澤面章氏(当寺前住職)

↑法話 高山崇さん(山階町 円乗寺住職)
高山崇さんからのひと言 
人生、勝ち負けの発想が、生きにくい世の中を作り出している。

午前九時半 日中

↑御文拝読 澤面真世氏(当寺坊守)

↑感話 黒田真さん(宮司町 満立寺副住職)
黒田真さんからのひと言 
今年もたくさんの別れがあった。報恩講にあらためて一期一会を感じる。

↑法話 高橋法信先生(大阪 光徳寺住職)
高橋法信先生からのひと言
「人間は一体、何を求めて生きているんやろ」誰の中にもこの問いがある。

午後一時 大逮夜

↑御文拝読 黒田真さん(宮司町 満立寺副住職)

↑感話 照井静志さん(長浜教務所)
照井静志さんからのひと言 
「なんでみんな友達になれないの?」という、ある子どもの言葉が、今、私への問いになっています。

↑法話 高橋法信先生(大阪 光徳寺住職)
高橋法信先生からのひと言 
如来よりたまわる「浄土」が自分一人の世界になっていないか。

十二月四日(日)午前六時 結願晨朝

↑御文拝読 和田英昭さん(岐阜 照明寺副住職)

↑感話 成井暁信さん(奈良 西教寺住職)
成井暁信さんからのひと言 
毎年、立ち止る、振り返るということの大切さを、報恩講によって気づかされる。

↑法話 高橋法信先生(大阪 光徳寺住職)
高橋法信先生からのひと言 
こうあるべきだという考えがまわりの人を排除する。

↑お斎

午前八時半 子ども報恩講

↑子ども報恩講の後 献花(満日中にて)

午前九時半 満日中

↑御俗姓御文拝読 澤面宣了(当寺住職)

↑感話 和田英昭さん(岐阜 照明寺副住職)
和田英昭さんからのひと言 
ここは、自分の出発点を確認する場だと思う。

↑法話 高橋法信先生(大阪 光徳寺住職)
高橋法信先生からのひと言 いのちを奪うような大義はない。大義によって、どれだけのいのちが殺されてきたことか。

↑お礼の言葉 藤居輝雄さん(浄願寺門徒 総代長)

内陣出仕僧(他所より)

●成井暁信さん
(奈良 西教寺住職)
●元平千生さん
(能登教務所)
●和田英昭さん
(岐阜 照明寺副住職)
●山階誠さん
(泉町 了願寺副住職)
●禿子慈孝さん
(北方 通来寺副住職)
●黒田真さん
(宮司町 満立寺副住職)
●高山崇さん
(山階町 円乗寺住職)
●照井静志さん
(長浜教務所)
●筧承さん
(山ノ前 蓮光寺住職)

編集後記

▼講師の高橋法信先生は、親鸞聖人の「日ごろのこころにては、往生かなうべからず」という言葉を基に、お話くださいました。
▼その時代、その社会を生きる私たち一人ひとりの業によって、いつのまにか常識となった「日ごろのこころ」で自他ともに傷つけ合い、争っているのが私たちの在り方のようです。
▼ただ、そんな「日ごろのこころ」の奥底に、誰の中にも確かにある「本当にそうか」という促しの声に耳を澄ましたいと思います。
▼今年も、その促しに、一人ひとりの方が押し出され、集われた「報恩講」に遇わせていただきました。
▼最後になりましたが、準備から色々とお世話をしてくださいました総代さま、婦人会の皆さま、子どもたちにお菓子をくださいました藤居吉男さま、そして皆々さま、ありがとうございました。


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